ルーズベルト大統領の昭和天皇宛親電


ルーズベルト大統領の昭和天皇宛親電
アメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ルーズベルト
訳:日本国外務省
1941年12月6日作成

日本国 天皇陛下
約一世紀前米国大統領ハ日本国 天皇ニ対シ書ヲ致シ米国民ノ日本国々民ニ対スル友交ヲ申出タル処右ハ受諾セラレ爾来不断ノ平和ト友好ノ長期間ニ亘リ両国民ハ其ノ徳ト指導者ノ叡智ニヨリテ繁栄シ人類ニ対シ偉大ナル貢献ヲ為セリ
陛下ニ対シ余カ国務ニ関シ親書ヲ呈スルハ両国ニ取リ特ニ重大ナル場合ニ於テノミナルカ現ニ醸成セラレツツアル深刻且広汎ナル非常事態ニ鑑ミ玆ニ一書ヲ呈スヘキモノト感スル次第ナリ
日米両国民及全人類ヲシテ両国間ノ長年ニ亘ル平和ノ福祉ヲ喪失セシメントスルカ如キ事態カ現ニ太平洋地域ニ発生シツツアリ右情勢ハ悲劇ヲ孕ムモノナリ米国民ハ平和ト諸国家ノ共存ノ権利トヲ信シ過去数ヶ月ニ亘ル日米交渉ヲ熱心ニ注視シ来レリ吾人ハ支那事変ノ終息ヲ祈念シ諸国民ニ於テ侵略ノ恐怖ナクシテ共存シ得ルカ如キ太平洋平和カ実現セラレンコトヲ希望シ且堪ヘ難キ軍備ノ負担ヲ除去シ又各国民カ如何ナル国家ヲモ排撃シ若クハ之ニ特恵ヲ与フルカ如キ差別ヲ設ケサル通商ヲ復活センコトヲ念願セリ右大目的ヲ達成セシカ為ニハ 陛下ニ於カレテモ余ト同シク日米両国ハ如何ナル形式ノ軍事的脅威ヲモ除去スルコトニ同意スヘキコト明瞭ナリト信ス
約一年前 陛下ノ政府ハ「ヴイシー」政府ト協定ヲ締結シ之ニ基キ北部仏領印度支那ニ同地北方ニ於テ支那軍ニ対シ行動シ居リタメ日本軍保護ノ為ニ五、六千ノ軍隊ヲ進駐セシメタリ、而シテ本年春及夏「ヴイシー」政府ハ仏領印度支那共同防衛ノ為メ更ニ日本部隊ノ南部仏印進駐ヲ許容セリ
余ハ仏領印度支那ニ対シ何等ノ攻撃行ハレタルコトナク又攻撃ヲ企図セラレタルコトナシト言明シテ差支ナシト思考ス
最近数週間日本陸海空軍部隊ハ夥シク南部仏領印度支那ニ増強セラレタルコト明白トナリタル為メ他国ニ対シ印度支那ニ於ケル集結ノ継続カ其ノ性質上防御的ニ非ストノ尤モナル疑惑ヲ生セシムルニ至レリ
右印度支那ニ於ケル集結ハ極メテ大規模ニ行ハレ又右ハ今ヤ同半島ノ南東及南西端ニ達シタルヲ以テ比島、東印度数百ノ島嶼、馬来及泰国ノ住民ハ日本軍カ之等地方ノ何レカニ対シ攻撃ヲ準備乃至企図シ居ルニ非スヤト猜疑シツツアルハ蓋シ当然ナリ之等住民ノ総テカ抱懐スル恐怖ハ其ノ平和及国民的存立ニ関スルモノナルカ故ニ斯ル恐怖ハ当然ナルコトハ 陛下ニ於カレテモ御諒解アラセラルル所ナリト信ス余ハ攻撃措置ヲ執リ得ル程度ニ人員ト装備トヲ為セル陸、海及空軍基地ニ対シ米国民ノ多クカ何故ニ猜疑ノ眼ヲ向クルカヲ 陛下ニ於カセラレテハ御諒解相成ルヘシト思惟ス
斯ル事態ノ継続ハ到底考ヘ及ハサル所ナルコト明カナリ余カ前述シタル諸国民ハ何レモ無限ニ若クハ恒久ニ「ダイナマイト」樽ノ上ニ座シ得ルモノニ非ス
若シ日本兵カ全面的ニ仏領印度支那ヨリ撤去スルニ於テハ合衆国ハ同地ニ侵入スルノ意図毫モナシ
余ハ東印度政府、馬来諸政府及泰国政府ヨリ同様ノ保障ヲ求メ得ルモノト思考シ且支那政府ニ対シテスラ同様保障ヲ求ムル用意アリ斯クシテ日本軍ノ仏印ヨリノ撤去ハ全南太平洋地域ニ於ケル平和ノ保障ヲ招来スヘシ
余カ 陛下ニ書ヲ致スハ此ノ危局ニ際シ 陛下ニ於カレテモ余ト同様暗雲ヲ一掃スルノ方法ニ関シ考慮セラレンコトヲ希望スルカ為ナリ、余ハ 陛下ト共ニ日米両国民ノミナラス隣接諸国ノ住民ノ為メ両国民間ノ伝統的友誼ヲ恢復シ世界ニ於ケル此ノ上ノ死滅ト破壊トヲ防止スルノ神聖ナル責務ヲ有スルコトヲ確信スルモノナリ
千九百四十一年十二月六日
          「ワシントン」ニ於テ
            「フランクリン・デイ・ルーズヴエルト」
12月6日 ローズベルト大統領→天皇陛下宛緊急電信原文
President Roosevelt to Emperor Hirohito of Japan [94], 6 December 1941
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[WASHINGTON,] December 6, 1941
Almost a century ago the President of the United States addressed to the Emperor of Japan a message extending an offer of friendship of the people of the United States to the people of Japan. That offer was accepted, and in the long period of unbroken peace and friendship which has followed, our respective nations, through the virtues of their peoples and the wisdom of their rulers have prospered and have substantially helped humanity.
Only in situations of extraordinary importance to our two countries need I address to Your Majesty messages on matters of state. I feel I should now so address you because of the deep and far-reaching emergency which appears to be in formation.
Developments are occurring in the Pacific area which threaten to deprive each of our nations and all humanity of the beneficial influence of the long peace between our two countries. These developments contain tragic possibilities.
The people of the United States, believing in peace and in the right of nations to live and let lives have eagerly watched the conversations between our two Governments during these past months. We have hoped for a termination of the present conflict between Japan and China.
We have hoped that a peace of the Pacific could be consummated in such a way that nationalities of many diverse peoples could exist side by side without fear of invasion; that unbearable burdens of armaments could be lifted for them all; and that all peoples would resume commerce without discrimination against or in favor of any nation.
I am certain that it will be clear to Your Majesty, as it is to me, that in seeking these great objectives both Japan and the United States should agree to eliminate any form of military threat. This seemed essential to the attainment of the high objectives.
More than a year ago Your Majesty’s Government concluded an agreement with the Vichy Government by which five or six thousand Japanese troops were permitted to enter into Northern French Indochina for the protection of Japanese troops which were operating against China further north. And this Spring and Summer the Vichy Government permitted further Japanese military forces to enter into Southern French Indochina for the common defense of French Indochina. I think I am correct in saying that no attack has been made upon Indochina, nor that any has been contemplated.
During the past few weeks it has become clear to the world that Japanese military, naval and air forces have been sent to Southern Indo-China in such large numbers as to create a reasonable doubt on the part of other nations that this continuing concentration in Indochina is not defensive in its character.
Because these continuing concentrations in Indo-China have reached such large proportions and because they extend now to the southeast and the southwest corners of that Peninsula, it is only reasonable that the people of the Philippines, of the hundreds of Islands of the East Indies, of Malaya and of Thailand itself are asking themselves whether these forces of Japan are preparing or intending to make attack in one or more of these many directions.
I am sure that Your Majesty will understand that the fear of all these peoples is a legitimate fear in as much as it involves their peace and their national existence. I am sure that Your Majesty will understand why the people of the United States in such large numbers look askance at the establishment of military, naval and air bases manned and equipped so greatly as to constitute armed forces capable of measures of offense.
It is clear that a continuance of such a situation is unthinkable. None of the peoples whom have spoken of above can sit either indefinitely or permanently on a keg of dynamite.
There is absolutely no thought on the part of the United States of invading Indo-China if every Japanese soldier or sailor were to be withdrawn therefrom.
think that we can obtain the same assurance from the Governments of the East Indies, the Governments of Malaya and. the Government of Thailand. I would even undertake to ask for the same assurance on the part of the Government of China. Thus a withdrawal of the Japanese forces from Indo-China would result in the assurance of peace throughout the whole of the South Pacific area.
I address myself to Your Majesty at this moment in the fervent hope that Your Majesty may, as I am doing, give thought in this definite emergency to ways of dispelling the dark clouds. I am confident that both of us, for the sake of the peoples not only of our own great countries but for the sake of humanity in neighboring territories, have a sacred duty to restore traditional amity and prevent further death and destruction in the world.
FRANKLIN D. ROOSEVELT
F・Dルーズベルトアメリカ合衆国大統領から昭和天皇にあてた戦争回避の親電の翻訳 
約一世紀前、米国大統領は日本の天皇に親書を送り、日米両国民の友好関係を呼びかけました。この呼びかけが受け入れらて以来、両国の平和と友好関係は長年続きました。それぞれの国民の徳と賢明な両政府のおかげで、両国は繁栄し続け人類平和にも大きく貢献しました。
だが、両国が非常事態に直面していると考えるからこそ、あえて今、陛下に現状認識の必要性を訴えることに駆られています。ことは重大で広範囲に影響を及ぼす緊急事態が刻々と差し迫っていると感じるからです。
両国の長期平和関係は両国に恩恵をもたらすだけでなく、全世界平和や人類繁栄にも貢献できるものですが、今、太平洋地域で起こりつつある緊急事態によって危ぶまれております。この緊急事態は悲惨な結果を引き起こすかもしれません。
米国民は平和を重んじ国民の生きる権限を重視する眼差しで、この数カ月間の日米政府のやり取りを強い関心を持って見守ってきました。米国民は日中間の戦闘が集結することを望んでおりました。また、太平洋地域においても、この地域の国々が他国の侵攻を憂慮することなく隣国同士共存でき、軍備保持という過酷な重圧からも開放され、そして差別措置や優遇措置などの存在しない通商関係が再開される形で同地域に平和がもたらされることを望んでいました。
私にとって明快であるように、陛下にとってももう明快だと確信していますが、これらの命題を成就させるために、日米両国はいかなる軍事的挑発行為を互いに行わないことに同意すべきです。これが命題解決には必須だと感じます。
一年以上前、陛下の政府はヴィシー政権と条約を結びました。北部仏印の北部奥地で中国軍と交戦中の日本軍に援軍を送り込むという名目で日本軍兵士5、6千人を北部仏印に配備するという条約です。だが、今年春と夏にはさらにヴィシー政権は、仏印全体の防衛という名目で日本軍が南部仏印にも軍備を配備することを認めました。
もっかのところ、仏印に戦火は勃発しておらず、そのような計画もないだろうことは間違いないでしょう。だが、周辺国が疑問視するほど大量の日本陸海空軍が南部仏印にも配備されたことで、日本軍の仏印における継続的軍備増強はもはや防衛目的ではないだろうことは、世界にとってこの数週間で明白となっています。日本軍の仏印での継続的な軍備増強は膨大な規模にまで達しており、またインドシナ半島の南東と南西の端から端まで占めているため、フィリピンや西インド諸島、マレーシア、タイの人々が、これら日本軍勢力が各々の国や周辺国への侵攻を虎視眈々と練っているのではないだろうかと憂慮するのもごく当然のことです。これらの国々にとっては国の存亡や平和維持がかかっているため、ごく正当な脅威であることは陛下も理解していることと思います。また、多くの米国人が、膨大な規模の兵士と軍備を配備した陸海空軍基地は、攻撃さえも可能な軍事力だと疑ってかかる理由も陛下は理解できることと思います。この現状が続行するのが許しがたいことは明白です。また、このことに憂慮を示したどの国も、固唾を呑んでいつまでも危険を見守っているわけには行きません。
ですが、もし、全ての日本軍兵士・軍人が仏印から撤退するのなら、米国が仏印を侵略する意思は一切ありません。また、東インド政府とマラヤ政府(マレーシア)、タイ政府からも同様の保証を取り付けることが可能だと考えています。さらには、同様の保証を中国政府から得られるよう中国政府に働きかけることもやぶさかではありません。日本軍の仏印からの撤退は南太平洋全体の平和維持にも繋がるでしょう。
陛下がこの非常事態を勘案し、私が提案するこの「暗雲を払拭する方法」を検討なさることを熱望していることを、この場を借りて力説いたします。超大国である両国の国民のためだけでなく、周辺諸国の平和のためにも、陛下と私は、これまで培ってきた両国の友好関係を復元し、これ以上の惨事や破壊を地球上から阻止する神聖な責務を負っております。
フランクリン・D・ルースベルト
翻訳 S・Fujimoto

ルーズベルト親電」伝達遅れ、GHQ徹底調査
 外務省は7日、昭和16年の真珠湾攻撃直前にルーズベルト大統領が昭和天皇に宛てた親電の伝達が遅れた経緯に関する連合国軍総司令部(GHQ)国際検察局による調査実態の記録を含む外交文書ファイル72冊を公開した。国際検察局が終戦後、外務省担当者らに事情聴取を行い、詳細な経緯を調査していたことなどが明らかになった。
 外務省が作成した昭和21年8月1日付の文書によると、国際検察局は親電が早期に届けられれば戦争回避が可能だったと認識しており、開戦当時の東郷茂徳外相が伝達を遅らせたとして開戦責任の証拠固めをしたと分析している。
 ルーズベルト親電をめぐっては、平成16年に元ニュージーランド大使の井口武夫尚美学園大教授(当時)が、グルー駐日米大使に配達される前に東郷外相が解読していた可能性を指摘。親電の内容を受けて日米開戦の最後通告を修正したため、開戦通告は真珠湾攻撃の約1時間後になったとしている。国際検察局側の認識は井口氏の議論と重なっており、対米通告遅延の論争に一石を投じそうだ。
 国際検察局の職員2人は昭和21年8月1日、外務省の電信官2人を尋問した。国際検察局の2人は東郷外相の名前を出しながら、親電配達が遅れた経緯や、事前に外務省が解読した上で陸海軍に送付した事実の有無を質問した。電信官2人は「本件親電には何等関係がなかった」「斯かる事実ありたるを知らざる」と回答した。
 文書では聴取を受けた印象として、国際検察局側が「東郷外務大臣は親電を解読したものを事前に見ているに違いない。この電報が天皇陛下に渡されたならば戦争は避けることが出来た」と認識していると指摘。さらに「検事(ママ)局側の同大臣の開戦責任に関する証拠固めを目的とするものの如く観取せられた」と分析している。
 東郷外相は終戦後、極東軍事裁判でいわゆる「A級戦犯」として禁錮20年の刑を言い渡され、服役中の25年7月に死亡。53年10月、靖国神社に合祀(ごうし)された。

ルーズベルト親電 日米開戦直前に昭和天皇に宛てた親電で、日本に和平を呼びかける一方、日本軍の仏印からの全面撤退を要求する内容。日本時間12月7日正午、東京電報局に到着。グルー駐日米大使に配達されたのは10時間以上遅れの同日午後10時半だった。親電は8日午前0時半にグルー大使から東郷茂徳外相に手渡され、東條英機首相が同2時半に昭和天皇に親電全文を読み上げた。