南部仏印

独ソ戦の勃発を受けるかたちで御前会議が行われた。ここで決められた国策は、南進か北進かに集中され、日本が南部仏印(フランス領インドシナ・現ラオスカンボジア付近)に手を出せばアメリカは参戦するかが主要問題となった。統帥部参謀総長杉山元は『ドイツの計画が挫折すれば長期戦となり、アメリカ参戦の公算は増すであろう。現在はドイツの戦況が有利なるゆえ、日本が仏印に出てもアメリカは参戦せぬと思う』と報告し、最後には南部仏印の進駐を了承される。
ドイツによりフランス本国は潰れてしまいます。そこで仏印は潰れたフランスの植民地だから、これを誰が拾うかわからない。 先ず、第一に資格のあるのはドイツです。フランスのビシー政府を自分のかいらい政府にしているからです。ドイツは今のところ欧州の戦争で手が伸びないが、将来これを取るかもしれない。また、フランスにはイギリスの庇護下にドゴールという政権がある。このドゴール政権が英米仏印管理を依頼したとして、米国が引き受けたということにでもなれば、支那事変はいよいよ永久に解決しない。だから誰が拾うかわからないものなら、一歩を先んじて進駐したのです。当時ドイツが勝つと思っていたんです。これらの植民地は戦争を継続するために必要なゴム、石油などの重要な資源の産地です。そして南部仏印に侵攻して、これを根拠地として英米と戦争が突入しても、数日でマレー、ジャバの一角に上陸し、これらを攻略する積りであったのです。アメリカは南部仏印を占領するならば重大結果を招くであろうと警告を日本に対して与えていたのです。日本の日米開戦のシナリオはすべてドイツがイギリスを下せばアメリカも日本に妥協するという、非常に日本に都合のよい前提で立てられていたのです。
ちなみに、大日本帝国海軍は日米決戦を想定して軍事予算を得ていたのです。アメリカの戦力を熟知していたので、海軍は戦争をしたくなかったが、出来ないということを表明しなかったのです。つまり、メンツですね。だから、どうせやるのなら、アメリカとの戦力がひらく前に、短期決戦でアメリカ太平洋艦隊を潰すしかなかったのです。