日露戦争はしたほうがよかったのかしないほうかったのかおしえてください

明治38年奉天での大勝利のあと、総参謀長の児玉源太郎はひそかに帰国して、政府大官たちにこれ以上戦う力はないから早く講和しなければならないと説いてまわったといいます。
彼には日本の国力の貧弱さが、よくわかっていたので、これ以上戦えば、じり貧となって、敗北に追いこまれると考えたからでしょう。彼は元老や重臣のためらいを押し切って開戦を推進して、戦争指導の実質的な責任者であったのです。
日露戦にかりたてられた将兵は108万人で、当時の20歳から29歳までの男子の人口は409万人だったのです。戦死および戦傷病気46万人です。このような結果となりましたが、日本として外に選択肢が無かったわけではないです。当時イギリスかロシアかの同盟関係を持つかで大きく政府内で揺れ動いています。日本は日清戦争後、増税を行い国民に犠牲を強いながら、国民が馬車馬のように働いてようやく成就した大軍備と経済力をもっていたので、国防の面からみれば、完成されたと思います。そもそも朝鮮半島ではこれまでも日本とロシアとで影響力を分け合ってきたのであるから、韓国を中立化する案を提案して、今後二国の合意によって安定を図れば、強国ロシアとも友好関係が築けて、ロシアから背後を脅かすことも少なくなり専念して清国の方に力を注げたと思います。

天皇の戦争責任について
腰が引けることなく、語り明かしてください。
腰が引けた人々(敵前逃亡2名)
http://www.youtube.com/watch?v=TvOeAX-ULDo

天皇の名によって行われた開戦、ならびに、それが敗戦と導かれた国家最高指導者としての日本国民に対する政治責任

政治責任と表裏の関係にあるべき日本国民に対する道義的責任

アジア民衆の虐殺、捕虜虐待などに関する日本国家の元首としての政治的道義的責任

以上を冷静に検証することが大切です

日本が敗戦後、GHQなどがキャノン機関などを作って、赤狩りをしたそうですが、そんなに共産主義って、恐ろしい事なんですか。今の日本の共産党は昔ソ連とつながりは少しはあったんですか。


右翼人は「八紘一宇」「一億玉砕」とか「鬼畜米英」とかさけんで国民を戦争にかりたて、戦局が不利になると「本土決戦」「一億玉砕」などとなえ、戦後、彼らはマッカーサーの命に従順し、その猟犬となってアメリカの敵(赤)を求めて狩りに走りまわった。しかしその中から一人の反逆者も起こらなかったということは、右翼人たるものは不可解の一言と思うのである。