明治9年、日朝修好条規にとって、朝鮮への日本の圧力がつよまったことは、朝鮮に深刻な打撃を与えた。とくに開国後数年のうちに関税無税の特権を利用し、日本は朝鮮の対外貿易をほぼ独占し、朝鮮国内に、欧米資本主義の工業製品が日本の手を通じて大量に流れ込み、未熟な朝鮮の手工業は壊滅状態におかれた。一方、朝鮮国内からは大量の米が日本に流失し、食糧難と米価騰貴によって農民や都市民をはじめ、支配階級の下層の者たちの生活が著しくおびやかされるようになった。*1

*1:伊藤忠士教授「相追次ぐ朝鮮事変」小論文