朝鮮の金

朝鮮は開港以来開港地では商人たちの間に日本の円貨が信用をえて、取引上ひんぱんに流通していた。そこで、円貨もとより、日本銀行兌換券や手形を流通させた。当時日本から商品が大量に輸入されていたので、朝鮮の商人たちも日本の貨幣を持っておれば、日本の商品を買い入れることができ、取引上の便宜から日本の貨幣を歓迎していた。

大蔵省は開港地の第一銀行に多額の資金を下附し、わが国の貨幣を流通せしめ、金地金の買収につとめさせた。

これは、幕末、欧米の商人が日本の無知に付け入り、金銀比価の開きを利用して、金を日本にもちだしたそのにがい経験を、今度はみずから朝鮮に課し、朝鮮での金・銀の比率が国際社会と異なるのを利用して金をもちだした。また、朝鮮の凶作を利用して、飢餓迫る朝鮮人から米・芋とひきかえに金(金塊・砂金)をえたり、または日本紙幣をもちこみ、それを常平銭にかえ、金を購入したり、さらに、採金業者などから買いとったりして、大量の金を日本に持ち込んでいたのである。

そしてこれらの椋奪的行為は治外法権・日本貨幣の流通・関税免除の条約によって守られていた。

朝鮮で流通していた円貨や銀行兌換券は明治30年の日本の貨幣改革が断行されたので、供給が跡絶えた。そこで、明治35年第一銀行の釜山支店で壱円銀行券の発行を皮切りに、5円券、10円券を発行するにいたった。

明治37年、さらに第一銀行は50銭、20銭、10銭の小額硬貨を発行し、翌年の一月には、日露戦争の勝利を契機として、朝鮮の国庫金取扱事務および貨幣の整理事務まで担当することになるや、同銀行券をして韓国における法貨として承認せしめた。