c4416jpさん> 唐紹儀はまた大胆な、歯に衣をきせない独特な語り口で、目下さかんに取沙汰されている噂にふれ、新しい同盟は、清室にたいする変則的行為が無効であることを明らかにし、優待条件による諸特権の回復を保証するよう主張した。彼はまたこの提案(さまざまな理由から実行されなかった)のたんなる承認だけでは満足せず、ひきつづき声明を発した。それはその当時はさほど注目を惹かなかったが、のちに起こった事件にてらして考えると、非常に興味のある重大なことだったのである。

 1925年10月の末に公にされた彼の言葉をここに引用したい。

 清室の特権の回復について、唐紹儀はこういっている。満州人の征服者は、漢満の結婚にさいして、持参金として満州をもってきた。中国人は清室を追い出したが、してみれば、満州はいまだに清室が合法的に相続すべき財産ではないか。宣統前帝は彼の領土にふたたび君臨することを許されるべきである、と。

『ノース・チャイナ・ヘラルド』、1925年10月26日号、ロイター電

 唐紹儀がこの独特な声明を発した数ヵ月後に、私は上海を訪問した。そのおりに私は彼と長時間会談をおこない、右の発言は、彼の意見が誤って伝えられたものではないと知って満足した。


R・F・ジョンストン著『紫禁城の黄昏』、412−3頁より。
━━━━━━━━━━━━━━━━━

も、無視しないでくださいね。


清朝とは少数(10パーセント?)の満州族が伝統的な中国の王朝体制を武力で継承して完成させたものです。

よって、これに抵抗する漢族の住民を大量逆殺したりして弾圧しなければならなかった。

だが、彼らは漢文化を以前から受容しており、儒教を政治理念として、従来のどの漢族王朝にもましてこれを尊重し、従来の王朝体制、つまりこれを支えた官僚制を踏襲し、いっそう整備、強化したものです。



c4416jpさん>満州ニ於ケル我カ権益ハ頗ル多岐多様ニ亙リ直截簡明ナル定義ヲ下シ難キモ是等権益ノ大部分ハ条約ニ根拠ヲ有シ居リ又何レモ多年ノ意義深キ歴史ノ所産ナラサルハ無シ千八百九十六年ニ清国ハ露国トノ間ニ特ニ日本ヲ対象トセル秘密同盟条約ヲ締結シタルカ同条約ノ有効期間ハ満十五年ニシテ日露戦争ハ其ノ期間内ニ発生セルモノナリ同条約締結セラルルヤ直ニ露国ハ満州ニ於ケル侵略政策ノ実行ニ着手シタルカ明治三十七八年戦役ノ勃発ニ至ル迄ノ日露交渉ノ記録ハ当時露国カ実際上満州ヲ以テ自国領土ノ不可分的一部ト目シ居リタルコトヲ明確ニ証スルモノナリ斯クノ如キ露国政府ノ威圧的活動ニ対シ清国ハ全ク無力ニシテ一言ノ抗議ヲモ提出シタルコトナシ此ノ事態ニシテ自然ノ推移ニ放置セラレタラムニハ満州ハ疾クニ清国領土中ヨリ喪失セラレタルコト疑ヲ容レス清国ヲシテ此ノ広大ナル沃地ヲ保持セシメタル所以ノモノハ実ニ日本ノ武力干渉ニ外ナラス吾人ハ清国ノ日露戦争ニ対スル厳正中立ノ宣言ニ信頼シ終始同国領土保全ノ方針ニ忠実ナリシ次第ナルカ若シ当時露清秘密同盟ノ条項ニシテ曝露セラレ居リタランニハ日本ハ上述領土保全ノ方針ヲ一変シテ別箇ノ政策ヲ執ルニ十分理由アルコトヲ認メラレタルナルヘシ

※昭和六年七月三十一日幣原外務大臣の陳友仁氏に説示せる要領(訳文)

外務省編『日本外交年表竝主要文書(下)』、178頁より。

 − ● − ● − ● −



と陳友仁に対して述べている。

清国は、満州日露戦争に際する戦場となったが、それを傍観している。これはすなわち“主権放棄”であろう。

満州は日本の領土ではないことは確かであるが、支那の領土ではないこともまた確かなことである。


上記史料には

「自然の推移に放置せらていたならば、満州はとっくに清国領土中より失っていたことには疑いを容れない」


「清国をしてこの広大なる沃地を保持せしめたる所以のものは、実に日本の武力干渉にほかならない」とある。

つまり、彼は満州を清国の領土と認めたうえでの前提の話でなくては上記のような論が立たないと思う。

かれの外交も所詮は根底おいて、中国への特権意識に立脚するものであることにはかわりないし、日本の満州のおける特殊権益をいずれは放棄してもやむをえないとまで思っているぐらい深く読んでいれば、立派なひとつの日本が誇れる立場であっただろうと思う。