gdhb7215 さんの最後の投稿

故意なのか、単に知らないのか。外交問題なら時系列に並べて語るべきだろう。それにしても、あの程度で20年近くにもわたる期間の国の外交の、一体何が語れるのか。

 関税自主権問題だけでも、複雑な背景と歴史的因縁と、長い交渉の歴史がある。この問題は1900年頃に端を発する。当時日本の軽工業(綿糸布、マッチ石鹸メリヤス等)は対支輸出を目的として勃興し、廉価の日本製品は従来シェアを持っていた英・独・インド産品を駆逐し、中国は日本の対外貿易上重要な相手国となった。この結果日英の経済的紛争が起こった。
 1922年に関税改定会議が開催され、イギリスは現行の5分から1割2分5厘に税率を引き上げ、代わりに中国の国内税の廃止を提案した。しかし日本は、認めるわけには行かなかった。日本の輸出品の綿糸布、マッチ、玩具、メリヤス等の製品は中国国内の産業と競合する。つまり日本の輸出貿易は、もろに打撃を受ける。一方英国は、だいたい高級な綿製品毛織物機械製品などで、中国では生産しない品物だから、多少の税率増加も影響を受けない。(仏米独等も同じ)
 日本は、暫定的に2分5厘の附加税を提議したが、イギリスが反対、米仏等も同調した。当の中国は極めて財政が逼迫しており日本案に乗っかって、その増収1300万元を担保として5000万元の借款を起すというつもりだったが、イギリスがあくまで反対して、会議はまとまらなかった。
 1921年11月のワシントン会議では、
  ○暫定的に関税を七分五厘とする
  ○実施に当たっては特別関税会議を開いて決定する。
  ○本改訂後四ケ年を経過したら更にを改訂し、爾後七ケ年を経
  過したら関税改訂を行う
となった。

 1922年1月中国政府は税率表改訂会議の開催を要求したので、日、英、米、仏、伊、スペイン、ポルトガルなどの諸国は委員を上海に派し会議がもたれた。この会議でも日英間で議論になり、日本製品にはやや高率な税が割りあてられた。

 第三回の税則改訂はワシントン関税条約第四条に基いて1926年8月6日に中国政府から提案された。各国はいずれ会議には応ずるが、段執政退位後の北京政府は各国の承認を得て居ない過渡的政府であるから、現政府を相手として税則改定を議する資格はないと主張。これは日英米三国により、とにかく委員会を開いて原案を作製し、実施時期は中国に正式政府が樹立されてからにすることで各国の意見をまとめた。その結果会議は1927年1月に上海で行うことになった。

 あなたは
>欧米列国はこれを受け入れ、中華民国関税自主権と領事裁判の
>撤廃を承認したが、日本だけが頑なに承認を拒んだ。
と思いっきり省略したが、その中の関税自主権の本会議に至るまででもこれだけの経緯があるわけだ。

>西原借款とは反革命派の政治資金として投下された資金で、
>それを国民政府の蒋介石に返済を迫るバカさ加減には呆れる
>よりも悲しい。

 バカさ加減?悲しい?
 対支借款は、第一次大戦中の西原借款を主とする元金5億円に達する。この金額の意味がわかる?これをチャラにできるかどうか、日本経済の破綻も招きかねない。
 もっとも国民政府はこれを政治的借款として元利の償還を行わない、いや財源の枯渇から行えなかった。英、米、独、仏等に対しても関税、塩税その他確実な担保の無いものはすべて不払いとなっている。この外債不払のため中国の対外信用は全く失墜していた。
 日本は昭和4年1月日支関税協定を承認する機会において、債務整理実行に関して中国側に要求して、公文書中に債務整理に関する一項目を挿入した。中国側の希望によって一般に公表されなかったが、いわゆる矢田、宋子文協定として対支債権問題に関し重要な基礎を作った。これは中国政府は関税の新税または増収入のうちから、毎年少くとも500万元程度を積立してこれを不確実な内外債務の整理に充当するというもの。

>日本は関税自主権の承認と引き換えに、西原借款を関税
>収入を担保にして返済するように強く迫った。

 いかにも日本だけが悪辣に取り立てたように信じているようだが、それは無知というものだ。
 矢田、宋子文協定が契機になり、中国政府は同年10月『内外債整理委員会』を作り、各院長、部長、専門家から成る十名の委員を任命し調査に着手した。昭和5年11月15日南京に日、英、米、仏、伊などの各国代表会議を開催し、中国政府は合法的に契約された未償還の内外債務を包括的整理をなすことの覚書を承認した。


 あなたが、適当に並べた問題のほんの一部だけでも、じつはこれだけの事実があるのだ。現実の政策を運営するには、かくも複雑なのだ。

政治責任結果責任であることは、大昔からの人間の常識
>であり、現在もまた将来もいえることだと思う。

 それは、否定しないが。しかし、事実関係をろくに見もせず、ただ悪かった、というだけなんの意味があるのか。

>全体として過誤が比較的少なかった場合でも、なおかつ
>その過誤については国民から糾弾されなければならない。
>政治家とはつねに誤りを犯す可能性を持つものである
 
 歴史の節目節目に政治家が下した判断について、どんな背景下で、どんな経過をたどって、その判断が導き出されたのかを検証しなければ、将来に対する何の教訓にもならん。人間の実世界は複雑でね。ドラマのように、悪代官一人退治したら、それで万事OK、なんてことはない。善玉、悪玉がはっきりしているのは、所詮ドラマか映画の世界。
 
 まあ良いか悪いかの結果論なら、議論の余地は無い。戦前の国家指導者は全部だめだ。あれだけの大失敗をしているからね。
 でも、それならこのカテ自体いらんな。

 天皇も政治家も軍人もみんな悪かった。。。そのとおりです。。。
 
 レス一往復で、終わりだ。悪いに決まっているからな。
 議論することすらいらん。