西原亀三

わたしは連日、徐・段をはじめ、その二派の要人と往来して画策した。わたしが支那へ来ていることは、しばらくは分からなかった。しかしついに日本公使館に知れた。林公使は外務省の方針がはっきりしないといって、いままで全然不干渉主義をとっていた。曹汝霖などがこれを動かそうとしてもなかなかおいそれと起たない。ところが事態はいよいよ急迫し、張勲が李経義と合流し相携えて入京し、内閣を組織しようとしだした。

 もともと張勲は日本に好感をもっていない。

 「日本と提携するのは強盗と同宿するようなものだ。日本はいま仮面をかむっているが、いまに強盗の本性をあらわすにちがいない。曹汝霖や陸宗輿は日本の甘言にだまされて、徐世昌・段祺瑞をあやまらせている」

と、かれの立場と、過去の日本のやって来たことから考えて見ると、一応むりのない見解である。

上記は西原亀三の夢70余年からのもので、日本として総額1億8600万円の資金によって徐世昌・段祺瑞を助けこれと結びつき、綿密な日支経済提携を進めていたときのものです。

張勲は段祺瑞の督軍団とひとつで、北京に入ってクーデターを慣行し、13日で失敗します。

この資金は西原借款というもので、戦時成金になった日本が金のゆとりがあるにまかせて段祺瑞政権の買収につぎこんだものです。ちなみに日清戦争の賠償金が2億3000万円であるこという。

そして極東を両国が共同防衛し共同作戦をするたねに日本は中国の軍事基地を利用できるような協定を結びます。

この協定は、さしあたりは、このとき日本がロシア社会主義革命に干渉してシベリアを占領する戦争を計画しており、その戦争のために中国領と中国軍隊を使用することができるようにする方針と結びついていた。中国の学生、労働者、商人はこれを売国協定として猛反対が起こり、必然に中国の反日帝の民族闘争を成長発展さるとともに、その他の列強国との対立をも深刻させます。