・・国王は外国の事情に通ずる者を喜ばれたので、国王の周囲には或は支那派もあったけれども、此時は段々日本派の者が多くなり、洪英樋、徐光範、それに前に左透された朴泳孝等も頻りに出入するにいたった。そこへ竹添公使が帰任して盛んに排支の気勢に油を…
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