中村 粲の『大東亜戦争への道』

白を黒という正当防衛論が多いですね。中国が排日、侮日、日本の正当な権益を犯したから、日本は自衛のために立ち上がった、という。日本の敗戦前に、政府・軍部が中国でも朝鮮でも、どこでも出兵するときには、つねにこのように言った。現在でも、日本の侵略戦争を弁護するものは必ず、どこかでこういう論法を用います。

これは要するに、「満蒙における日本の特殊地位」を守ろうとし日本が戦争をおこしたというのだが、その「満蒙における特殊地位」とは、日本の清国侵略の獲物のことである。

侵略の獲物を守るために、重ねて本来の持主に戦争をしかけるのは、重ね重ねの侵略戦争ではないかと思う。

この論法には具体的な事実を提示して事件の前後関係を明白にすればことたります。

たとえば、「通州事件での在中邦人の虐殺」事件を持ち出して相殺しようとする人が少なくないです。

盧溝橋事件から三週間後に北京近郊の通州で起きた日本人と朝鮮人らに対する虐殺事件で、飼い犬(ワシのワン公)のシッポを思いきり踏んづけ、手を噛まれたような事件です。

1933年5月の塘沽協定の停戦締結以後、関東軍は、華北5省の自治も企図し始め、1935年9月、10月4日の閣議において、華北自治奨励案を提出し、華北分離は日本の正式な政策となりました。11月年には、殷汝耕という日本軍の傀儡を首領とする巽東防共自治委員会なる政権を通州に設立します。その間、日本は11月から開始された国民政府の幣制改革がイギリスの援助を受けて着々と成功していくのを妨害するため、華北現銀の南送阻止を企てたり、36年ごろから山海関特務機関長竹下義晴の謀略により、巽東政権の財政を援助するために、軍の庇護の下に密貿易を盛んに行なわせて中国側関税収入に大打撃を与えたり、関東軍飛行機を華北の空に自由に飛行させ、遠く保定・徐州・青島あたりまで乗り入れ、これに対する中国からの抗議を一切無視するなど、中国の主権を侵害する行為をはばかるところなく強行している。(西園寺公と政局)

当時の日本人(朝鮮人含む)とは、密貿易を業とする一団で、巽東政権の建国創業の収入源で、そのほとんどが、彼らの収入源として一角千金をねらう人々の懐に入って庶民には使われることがなかったようです。

当時の様子を「夢の国」には「夢の王国」にふさわしいような玩具の兵隊さんが沢山養ってあった。さらに健全国家としての運営のごときは、実に百年河清を待つに等しいかった、と寺平忠輔元中佐がいうてます。

なお、わが方の守備隊の損害、戦死将校2.兵18.負傷将校1、下士官1、であったという。