西原亀三

、「満蒙における日本の特殊地位」を守ろうとし日本が戦争をおこしたというのだが、その「満蒙における特殊地位」とは、日本の清国侵略の獲物のことである。

侵略の獲物を守るために、重ねて本来の持主に戦争をしかけるのは、重ね重ねの侵略戦争ではないかと思う。



1921年米国によって開かれたワシントン会議では、たちまちこれがひっくり返されてしまい、いわゆる九カ国条約によって中国の門戸開放・機会均等が強調され、山東における日本の特殊権益が否認され、さらにワシントン・ロンドン両会議における海軍軍縮条約によって日本の国防力は対米・対英五・五・三の劣勢にしぼられてしまった。

 結局日本は列国から侵略者としての焼き印をおされ、その侵略の足場と武器とをうばわれてしまったのである。

 軍閥ばっこの日本がこれでおさまるわけはなく、その後の日本ではこれをはね返す準備が一生懸命に進められた。それが満州で爆発し、やがて上海に飛火して支那事変となってしまった。支那事変なくして太平洋戦争はない。要するに日本今日の悲劇は仲よくすべき中国と喧嘩してしまった当然の報いである。

寺内内閣の時、一石一石に日支親善・東洋永遠の平和の祈豊こめて、重ねて行った賽の河原の石積は、政権に飢えた青鬼や、侵略を好む赤鬼どもによって突きくずされてしまいそのあとにくり広げられたのが敗戦日本今日の地獄絵である。

上記は西原亀三の夢70余年からのものです。


帰りなんいざ

田園まさに荒れんと・・・・・

結びの言葉

(西原亀三 戦争を逃避して丹波の奥)