2.26事件 1

真崎は二十六日の朝四時半に、世田谷の自宅で「青年将校が兵を率いて重臣を暗殺云々」という知らせを、襲撃決行三十分前に政友会の久原房之助に近い浪人亀川哲也から聞いています。しかも、彼は亀川から、「決起将校はいずれも閣下のご出馬を待望しております。どうか昭和維新断行のためによろしくご尽力を願います。閣下の手で時局を収拾されるよう、一同、希望しております……」と、懇請された。

それから四時間近く、真崎は陸軍省にも憲兵隊にも連絡せずに自宅で過ごし、陸相官邸は八時四十五分に決起軍に占拠されます。川崎陸相からの電話の要請により、彼は自動車で勲一等旭日大綬章の副章をぶらさげて陸相官邸に姿を現わすと、決起軍の磯部浅一は、

「閣下、統帥権干犯の賊類を討つために決起しました。情況をご存知でありますか」

「とうとうやったか、お前たちの心はヨオークわかっとる、ヨオッークわかっとる」

「どうか善処して頂きたい」

「門前の同志とともに事態の有利に進展せんことを祈る……」と大将はうなずきながら官邸内に入る。

真崎と川島陸相とは別室で要望事項と決起者の氏名表などを閲読しながら密談します。

「こうなったからは仕方がないじゃないか」

「ご尤もです」

「来るべきものが来たんじないか、大勢だぜ」

「私もそう思います」

「之で行こうじゃないか」

「それより外仕方ありませぬ」

「君は何時参内するか」

「も少し模様を見て」
                         
「僕は参議官の方を色々説いて見よう」

上記のように密談が決まり、決起趣意書を了承し、要望事項を実現することにしたのです。

 陸相官邸を出た其崎は、伏見邸に行くと、待っていた加藤寛治海軍大将といっしょに拝謁します。

この非常時に、手回しよく陸軍の真崎が海軍の総長と会うというのは、この事件の真相よく表れているところです。

「事態がかくの如くなりましてはもはや臣下では収拾が出来ません、強力な内閣を作って大詔換発により事態を収拾する様にして頂き度い、一刻も猶予すればそれ丈危険であります」

真崎はこう上奏すると、伏見宮に付き随って参内します。

すでに西園寺のところには、貴族院議員の鵜沢稔明博士(永田軍務局長を斬殺した相沢中佐の弁護人)を急行させて、真崎内閣の承認を得る手はずになっていた。

 鵜沢博士はこの日十時すぎに坐漁荘に到着し、留守を預る熊谷八十三執事に面会して、西園寺に伝達を依頼している。

「公爵は一日も早く上京、時局の収拾に当られたい。公爵の身には絶対に危険なし。首班の選定には公爵のお考えもあらむも、陸軍の方を治めるには柳川、真崎等に当らせれば可ならむ」と。

また、この決起軍が襲撃するまえに知っておった人物がいます。

本庄は娘婿から、決起部隊が出撃直後に知らされております。山口は決起部隊の最高顧問格でありますので、本庄のその後の行動は、一環して決起部隊の擁護にあたるわけです。