gdhb7215さん>一国の是非を、わずかに幣原外交を語ることだけで、擁護したり非難したりするのは不可能。そんなことを本気で考えている香具師がいれば、基地外か、ハッタリ屋か、単なる物知らずだ。


そのわりには幣原外交を高く評価しているんじゃないかい。


gdhb7215さん>もうその時代は日本が大きく右旋回していて、幣原外交の努力は認めるが、修正が不可能だったと思う。唯一、可能性を求めて論ずれば、張作霖爆死したとき、天皇と唯一の元老西園寺の日本のナンバーワンとツウが下手人の軍人を憲法に則り処分しなかったことだと思う。ふたりとも西欧の開明的な思想をもっており、犯人を厳罰に処することは当然だと思っていたことは、いろんな資料を見れば分かる。


首相の田中もそのつもりでいたようだが、天皇が若気のいたりでとんでもないことを一国の首相に言い恐怖心におののき、辞めさせてしまった。
彼は天皇の叱咤から、三ヵ月後狭心症で死んだとことをみると彼には尊王心が大いにあったじゃないかと思う。

そこで、日本のナンバーワンとツウと首相を入れ当時の日本のトップスリーが力を合わせればなんとかなったのだろうと考えています。

玉を握って、すこし勇気があれば、どんなことでもやれないことはなからね!

もちろん反乱も起こったかも知れんが、玉のない軍隊は逆賊になるしかないから、すぐに収まったのでしょう。

犯人を厳重に処分すれば、一時はよくないが、軍隊の規律が戻り、それが結局、日本が世界に信を得え、右旋回していた日本を戻すことができたのでしょう。

早い話、日本が悪くなったのは、だれもが保身に走ったからでしょうね!



>そのわりには幣原外交を高く評価しているんじゃないかい。

 そりゃ高く評価している。ダッチロールを始めた日本にあって、なんとかまっすぐに舵をとろうと四苦八苦している。
 
>もうその時代は日本が大きく右旋回していて、
 こういう表現は、少し引っかかったりする。何を持って右だ、左だ、というのか、その定義が曖昧だからね。
 もし右を、一国主義・国家主義とすれば、たしかにそうだ。しかし、第一次大勢以後の主要国の一般的な傾向がこうだった。日本だけの傾向でもない。
 イギリスやフランスなどは、すでに植民地を抱え、本国と海外領を一体にしたブロック経済に向かっていた。日本は当然、こういった植民地先進国の後追いになる。とすれば日本も彼らのブロックの、残りの部分を集めて一ブロックを作らざるを得なくなる。つまり、日本が望むと望まざるとにかかわらず、その方向に流されていったわけだ。
 アメリカは、大陸国家であり自国に資源も抱えているから、行き方が違っていた。でもモンロー主義は、実質的には同じことだな。そして日本は国土の基礎条件から言って、これは無理だから。

>玉を握って、すこし勇気があれば、どんなことでもやれないことはなからね!
>早い話、日本が悪くなったのは、だれもが保身に走ったからでしょうね!

 もちろん、そうに決まっている。
 しかし1920年代30年代の日本は、テロの時代だった。その中で、テロリストどもに反する政治姿勢をとり続けることは命を狙われる可能性が十分あった。しかもマスコミの論調も景気のいい大陸進出だった。もちろん中国の激しさを増す反日運動も国内世論を刺激した。いろいろな要因が絡み合って、異常な雰囲気になってしまった、そんな時代だった。暗殺されても構わない、軍のクーデターも押さえ込んでしまうという非常の決意があれば事態は防げた、といって当時の少数の指導者達に責任を押し付ける論がある。こういう論は、現実を全く見ないで脳内で浮かべる空想論だ。
 現代の実社会において生活していれば(生命の危険こそ無いが)、会社内とか一部局内の大勢に逆らうことがいかに困難か。公私ともに孤立し、仕事場での立場も私生活さえ辛くなる事態に遭遇する。問題の大小はあるけど。こんなことが言えるのは、こういう実感のない幸せな人間なんだろうね。