gdhb7215さん> 反国民政府軍じゃなくて、国民政府内部における右派と、左派・共産党との対立が激しくなっていたんだ。それに東支鉄道を巡りソ連とも揉めていた。だから蒋介石は日本との協調を求めた。日本も、その気運を素早く捕らえて、対支関係での遅れを取り戻した。まあこれは外交の常識でしょう。


「反国民政府軍」の言葉は誤解を与えたようですね。国民政府軍とは地方軍閥の寄せ集めだから、「反政府軍」として対立した軍閥との内戦の意味で使いました。

「だから蒋介石は日本との協調を求めた。日本も、その気運を素早く捕らえて、対支関係での遅れを取り戻した。まあこれは外交の常識でしょう」と思うのは違うんじゃないかと思う。

これは、論点をはっきりさせるためにカキコしただけですから、間違わないように善意に解釈してくださいね!

確かにこれは幣原外交でいわゆる当時「平和強調主義の軟弱外交」と言われたものですが、それなりの理由があったからそう呼ばれていたのでしょう。

それはさておき整理してお尋ね申し上げます。

「だから蒋介石は日本との協調を求めた。日本も、その気運を素早く捕らえて、対支関係での遅れを取り戻した。まあこれは外交の常識でしょう」の意味は今までのカキコ内容から総合的に大局的に考えれば、幣原外交によって、大いに対支関係が改善され、国際的にも遅れを取っていた日本の外交も国際的に追いついたことを強調することによって、それをぶち壊したのは、中国側からみれば、欧米派を中心とする者が力を持ったことと、政界の腐敗を批判し、要人のテロや外国で戦争を起こしてばかりいた陸軍や右翼団体が国内世論のあおり、過激化してしまったことをあげ、日本はあくまで平和を基調とし話し合いを行ったのだから、この時点までは、国際的に非難される謂われはないということを述べていると思われるがいかがでしょうか。

それとも「強調」しなくてもそう思っているのか

また、満州問題が実質的にはなんら改善されていないのに、幣原外交によって改善されたように虚偽を装い、歴史を修正したいのかどうかということです。


gdhb7215さん>一国の是非を、わずかに幣原外交を語ることだけで、擁護したり非難したりするのは不可能。そんなことを本気で考えている香具師がいれば、基地外か、ハッタリ屋か、単なる物知らずだ。
 
 日本も中国もそれぞれに、利益の相反する諸勢力の複合であり、それを一手に抑えるほどの強い統制力のある指導者はいない。また欧米に代表される他国からの影響もある。だから「日本」「中国」という国を一個の人格としてみれば、ちぐはぐで複雑な動きになる。
 幣原外交だけ語ったところで、その複雑な動きを説明しきれるわけは無い。幣原外交も、田中外交も、それに対応した蒋や宋の外交も、長い日中交渉のほんの一断片。だから「日本はあくまで・・・」といった日本の在り様全体を語るようなマネができるはずがない。

 そもそも幣原外交のほんの数年間を語るだけでも、今まで討論してきただけでは全然不十分。日支政府首脳、双方の政財官軍の動きだけではなく、民間人の交流、経済指標の変動、犯罪治安、アングラマネー、華僑の動き、移民など・・・まだまだ無数に論点はある。

 例えて言うなら、満州国をめぐる全体像は、1000ピースのジグソーパズル。幣原外交は、その中の50かせいぜい100ピースにすぎん。
 100ピース埋めただけのジグソーパズルをみて、いまだ殆ど空白の絵の良否を談ずるようなものだ。