gdhb7215さん>満州の権益を投下しているというが、立場の相違を超えたところで、矛盾を感じるだよ!
 上記の協定に従って、日本は満州の経営にのりだした。そのため鉄道、電力などインフラ整備に資本を投じた。別におかしなことをしていないけど。


そう思うなら別に言いたことはないよ!


gdhb7215さん>だから、総論はもういいよ。具体的に、何が問題があったんだ?ひとつでいいから、論じられる具体的な事件についてあげてくれ。


言っているのは戦前のものらの考えと同じで、別に進歩した話でないからワシから見れば下らん話だ。だから、悪いがもういいよ。


gdhb7215さん>これらに中国官憲が、不当な圧力と、時には暴力を加えて来た。全く違法な行為だ。


一方的な見方かたで恐れ入るよ!


gdhb7215さん>この非常識なバカどもには、正直頭にきている。こいつらが日本を破壊したのだ。これについても、大いに議論しよう。ただし別のトピで。


悪いがあなたとの話は、現状に追従している意見で別に面白ことはない。

そんな話に付き合う時間もなければ、義務もない。


gdhb7215さん>満州問題は、こいつらがかき回したためにおかしくなってしまった。そう言う意味では、当時の日本政府の足を引っ張っただけだ。


歴史は変えられないから、どうしてそのような人々が生まれたかを考えなければならんと思う。


gdhb7215さん> 思想の話はしていないよ。実行可能な政策だったのか?ということ。実行不可能な政策を、当時の日本政府が執らなかったといっても別に非難することではないな。


なんか言っていることは、よく分からんが

アホには責任能力が無いので、批判ができないし

もちろん、アホはその行動以外は実行不可能だから

その行動の結果にも批判ができない

とはっきり言ってもらうと、よく分かるんですがね!


gdhb7215さん>言っている内容も分からんで、そんなことがよく言えるね!
 じゃあ、当時の日本を取り巻く外交環境を、どう見ている?


アメリカとイギリスは中国政府と妥協しながら権益を守ろうとし

日本は経営見込みのない満鉄利権に

力でしがみついていたということです。

つまり、張作霖の暗殺は日本の仕業であったことは

日本以外の国々では公然な事実として伝えられていた。

しかし、軍も日本政府も否認しつづけていた。

国民に知らされたのは戦後になってからで

今でも隠すタコがたくさんいる。

それを分からず、タコになる若者もめっきり多くなってきている。

だから、ワシが苦労している。


gdhb7215さん>陸軍のバカものを利用して上記を推進したんじゃないの。
 その根拠は?政府声明、詔勅、閣僚の言動を見ても、必死に拡大防止をとっている。
 関東軍の参謀などは、奉天総領事を群島を抜いて威嚇したり。若槻内閣の後を受けた犬養内閣も事態不拡大のため直接交渉に乗り出したが、515事件で殺害された。
 利用どころか、陸軍のバカども相手に命を張らなければならなかった。だから、そんなことはありえない。


ありえないなら別にかまわんよ。


gdhb7215さん> イギリスが対支新政策を発表したのが昭和4年12月。そしてアメリカ、ベルギーなどがそれに追随した。


おい〜

昭和3年7月に、まずアメリカが中国の関税自主権を承認し、同年中に英仏などがこれにならった。また、諸国は国民政府を正式に承認もしている。

しかし、日本は国民政府の北伐をジャマした後始末もできず取り残されていたのだよ!

中国人の要人を殺害したつけは、山よりも大きかっただね!


gdhb7215さん>あなたが認めようとどうであろうと、当時は国際的にも認められていた。だからこれに則った政策を展開して何が悪いのか?


悪いとは思っていないよ。どうぞと言っています。


gdhb7215さん> それが、法的に多分に問題がある事案は、いくらでもあるんだよ。


大学時代のノートまで引っ張り出してのカキコご苦労様です。



gdhb7215さん>関税自主権のことだけ言っているんじゃない。不平等条約の改定問題とか、租界の返還とか支那の対外債務の整理問題とかあるんだよ。

 
幣原外交の第二段は、昭和4年からの浜口内閣と第二次若槻内閣だ。田中時代のブランクは大きかったが、巻き返して昭和5年には追いついた。
 蒋介石宋子文孔祥熙閨閥(宋の妹の夫たちで、浙江財閥の代表)といった実力者と信頼関係を築くことに成功した。中佐を頭にした6,70名規模の軍事顧問団まで受け入れていたんだから。


 幣原外交をぶち壊したのは、一つには王正廷・外務部長(エール大学、ミシガン大学の卒業生の欧米派)を中心とする左派が力を持ったこととだ。
 いまひとつは、国内世論の過激化(軍部や国粋団体による)だ。この二つは紙の裏表みたいなものだが。


だいたい国際状況とは刻々変化するのは分かりますが「蒋介石が北伐を開始したとき」の国際状況を話しているのであるから、議論するときは、だいたい同じ時期をもって持って述べていただかないと、話がかみ合わないですよ。

そもそも蒋介石が北伐を再開したときは、イギリスの漢口、九江租界の返還はじめ、アメリカはその年の初頭から国民政府の統一を援助する方針をしていたんだ、あなたは「欧米とは全く同じペースだった」だとか「追いついた」とか日本と中国が打ち解けたかのように主張しているが、ワシは違うよと言っている。

北伐再開のおり日本軍がジャマをしたから、関税交渉を結んだのは日本が最後になったんだよ。

このときは(昭和5年)、蒋介石は反国民政府軍との決戦があったから、とりあえず日本を怒らすとなにをしでかすかわからないので、関税を結んだんと思うよ。だから、「田中時代のブランクは大きかったが、巻き返して昭和5年には追いついた」というのとは意味が違う