2018-01-01から1年間の記事一覧

関東軍特種演習

[太平洋戦争] 関東軍は、「関東軍特別演習」と呼ばれる軍事演習を幾度か行ないました。中でも、ドイツ・ソ連戦開始(6月22日)の直後、昭和16年(1941年)7月に行なわれた「関東軍特種演習」は、「関特演」という略称で呼ばれます。この時の「関特…

対米戦を決意する

[太平洋戦争] 大日本となるためにはバスに乗らねばならぬ、バスに乗るためにはアメリカと一戦を辞せぬという覚悟が必要だ。問題は、独伊が最後に勝つから英米と敵対しても勝馬に賭けた方が得であり、このチャンスを逃すと日本は膨張の機会を失うからです。 …

太平洋戦争

近衛公は私に向かって、「いよいよ仏印の南部に兵を送ることにしました」と告げた。私は、「船はもう出帆したんですか」と訊くと、「エエ、一昨日出帆しました」という。 「それではまだ向こうに着いていませんね。この際船を途中台湾か何処かに引戻して、そ…

東亜新秩序声明

[日中戦争]東亜新秩序声明とは、日本人の多くが、何のために中国と戦い続けているのか、理解できなかったから、国民に日本の戦争目的を述べたものであると思うが、つまり、国民を騙し、国民を駆って戦争に供し、戦争責任を塗抹するためのものであったのです。

西浦進

帝国陸軍では上司が全くの不勉強で、省内でも所管のことがよくわからず、若手が実務における意思決定していた。これが陸軍内の下克上を促した面がある。 山県有朋逝去の際には陸軍大学入学試験の面接で長州出身者は全員落とされた。 陸軍省内のデスク・ワー…

アメリカ国民

1939年、太平洋戦争が始まるわずか2年前でも、ガソリンと鉄鋼はアメリカから日本に流れ込みつづけていた。一九三九年、アメリカは3000万バレルの石油を売ったが、これは日本が消費する石油の93パーセントに当たる。日本はガソリンの90パーセントをアメリ…

統帥権

この国のかたち」の第四巻目「統帥権」の内容を抜粋する。 司馬遼太郎は「統帥権」について、何回にも分けて書いている。彼は、先の大戦の誤りは、あいまいだった「統帥権」にあったと考えている。日本の歴史上「統帥権」があいまいに形成されて行く過程をま…

中島鉄蔵を「統帥権干犯」であると叱責する

板垣征四朗は満州事変で名を上げたが、その後の戦績は必ずしも良好ではなかった。 その最大の理由はおそらく参謀に恵まれなかったことであろう。彼の下には参謀として田中隆吉がいたが、その田中は1936年11月に内モンゴル独立指導者の徳王(とくおう)を…

アメリカのソ連援助

1941年6月ヨーロッパ大陸を席巻し残る英国と戦争中だったドイツは突如ソビエト領土に なだれ込み「独ソ戦」が始まった。 このとき日本陸軍はドイツと連携して満州からシベリアに攻め込こむ事を企画したが 2年前のノモンハン戦でのソ連軍が強すぎたイメ…

牧野伸顕日記 張作霖爆殺事件

牧野日記 <六月二十五日(前略) 午後鎌倉へ引取りたるに、午後九時過ぎ後藤子是非面会したしとて東京より自動車にて来訪あり。其要旨は、張作霖暗殺は慥に邦人なりとの確説を得たり、果して然らば実に容易ならざる影響を及ぼすべし、就ては事の顕はれざる…

対米開戦前の高松宮

[昭和天皇独白録]に於ける対米開戦前の高松宮・近衛の辞職と東条の組閣(昭和16年) 十月の初伏見宮が来られて意見を述べられた。即近衛、及川、永野、豊田〔貞次郎・外相〕、杉山、東条の六人を並べて戦争可否論をさせ、若し和戦両論が半々であつたならば、…