西浦進

帝国陸軍では上司が全くの不勉強で、省内でも所管のことがよくわからず、若手が実務における意思決定していた。これが陸軍内の下克上を促した面がある。
山県有朋逝去の際には陸軍大学入学試験の面接で長州出身者は全員落とされた。
陸軍省内のデスク・ワークのエリートがいきなり前線部隊の高級指揮官となり赴任していく。実際の戦運びが上手なのかどうかはわからない。
陸軍航空部隊は練度が低く、海軍の渡洋爆撃が行われた時には航空機の集結もおぼつかなかった。
南仏進駐の際であっても対米戦の研究は行われていなかった。アメリカと戦いたくはない、イギリスとだけ戦いたい→シンガポールを攻める必要→南仏に進駐し航空基地設営の必要→米国による金融資産凍結。
ソビエト終戦間際日ソ不可侵条約を破って攻め込んだ際に、彼らの言い訳とされた独ソ戦時の帝国陸軍による関特演も必然性がなかった。(不可侵条約がありながら日本はソ連が窮地にある時に国境付近で侵攻のための演習を行った、ドイツと挟み撃ちにしたい気持ちがあったからだ。従ってソ連に対して条約違反を声高に言えなくなった)