直隷平野の決戦

日清戦争で川上上席参謀の考えた直隷平野の決戦とは具体的にどういう作戦なのでしょうか。

第一期に清国の海軍を撃破して、制海権を確保する。第二期作戦で、日本の主力を渤海湾頭におくり、清国首都北京一帯の平野において清国軍と雌雄を決し、北京を攻略して、清国を降伏させるという作戦です。
旅順の占領は、日本軍の次の作戦をどこに指向するかの問題を提起します。伊藤首相は、清国が降伏しなければ、直隷決戦もやむをえないと決意しますが、しかし、他方では列強の動向から一、二カ月のうち終局に到ることを希望します。
実際、冬季であるうえ、兵站線の確保が容易でないので、大本営は、占領地でそのまま冬営することを命じます。
ところが、山県司令官は、積極的な冬季作戦を主張し、直隷決戦を決行するためには、背後の安全を確保する必要があると理由をあげ、独断で海城攻略の作戦を下令します。
伊藤首相は病気治療の名目で召還する勅命をもって、山県大将を帰国させ、監軍に任命されます。

日本軍が清国との戦争のはじめ決定した作戦計画(1894年・明治27年8月5日、参謀総長熾仁親王が宮中内の大本営天皇に上奏したもの)はつぎのようなものであった。
我軍の目的は首力を渤海湾頭に輸し清国と雌雄を決するに在り而して此目的を達成し得ると否とは一に海戦の勝敗に因る随て我軍作戦の経過は之を左の二期に別つ
第一期には先つ第五師団を朝鮮に出して此に進軍を牽制し内国に在る陸海軍をして要地を守備し出征を準備せしめ此間我艦隊を進めて敵の水師を掃蕩し黄海渤海に於ける制海権の獲得に勉めしむ
二期作戦は第期に於ける海戦の結果に応して進歩せしむ可きものにして我能く制海権を得るとき(甲の場合)は逐次陸軍の首力を渤海湾頭に輸送し直隷平野に於て大決戦を遂行す然れとも清国四水師の艦艇は其隻数及噸数に於て共に夐に我海軍を凌駕するのみならす北洋水師の如きは実に我に優るの堅艦を有し勝敗の数未た遽に難きもの有り故に若し両国艦隊交綬し我れ渤海を制する能はさるも尚ほ敵をして我近海を制すること能はさらしむるを得るとき(乙の場合)は我は陸続我陸軍を朝鮮に進めて敵兵を撃退し以て韓国の独立を扶植するの目的を達することを勉む而して海戦若し我に不利にして制海権全く敵に帰するとき(丙の場合は我は為し得る限り我第五師団を授け内国に在ては防備を完整し敵の来襲を撃退するの途に出てさる可らす(『明治軍事史』上、913ページ)

日清戦争の研究 中塚明 P244-245

わが軍の目的は軍の主力を渤海湾頭に輸送して、清国と雌雄を決する
そのため第一期は、第5師団を朝鮮に派遣して清国軍を牽制、海軍により敵の海軍を殲滅して、黄海及び渤海における制海権の獲得する。

第二期は、制海権の状況により3つの場合を想定する。
(甲)制海権掌握の場合、陸軍の主力を渤海湾頭に輸送し直隷平野で大決戦を遂行。
(乙)渤海制海権は掌握できないが日本近海は確保の場合、順次陸軍を朝鮮半島に送り、清国軍を撃破し、以って韓国の独立を確保する。
(丙)清が制海権掌握の場合、為し得る限り第5師団を援助し国内防備に務める。

作戦の大眼目は、軍の主力を渤海湾頭に輸し、清国と雌雄を決することです。そのため朝鮮に派遣して清国軍を牽制、海軍により敵の水師を掃蕩し黄海及び渤海における制海権を獲得する。次に陸軍の主力を渤海湾頭に輸送し直隷平野で大決戦を遂行して清国を降伏させることです。


講和が切迫した問題になってきたとき、伊藤首相は12月4日の「威海衛を衝き、台湾を略すべき方略」という意見書を大営本部に提出します。
これによれば、伊藤は、第一に、直隷作戦に成功し、北京を攻略したならば、「清国は満廷震駭、暴民四方に起り、土崩瓦解ついに無政府となるべきは、即ち中外の声をもたらして唱道する所」である。それゆえ「列国はおのおのその商民を保護するうえにおいて、利害の関要もっとも痛切なるより、勢い合同干渉の策を施さざるをえざるの勢いに至らしむべきや必然」 であり、直隷作戦の実施は「みずから各国の干渉を招致する」ものである。第二に、冬の直隷作戦ほ「壮は壮なりと錐ども、談なんぞ容易ならん。天寒氷結にむかい潮海に在て運輸交通を便利にするは至難の業」である。伊藤首相は、講和に不利な直隷作戦にかえて、遼東半島における冬営持久と、陸軍の一部と艦隊による威海衛作戦および台湾作戦を提案します。ところが、大本営の冬営命令を無視して海城攻撃を命令したときに、海城作戦が直隷作戦に拡大することを阻止するために勅令をもって、呼び戻します。