戦争責任者の問題

たとえばミッチェル女史の「風と共に去りぬ」では、アメリカの南北戦争のころに解放された奴隷たちが近代社会の人々なら当然に人間に対する冒涜と感ずるはずのものを、主人の温情をかえって頼りにするような物語が展開されています。これは、多かれ少なかれそうした境遇に馴らされて、長い間、そこにしか彼らの安住を求められなかった結果であろうと思う。しかし、ヨーロッパ人に知られているあらゆるアフリカの帝国では、「奴隷制が土着的であって、そこには奴隷制が自然に支配している」とヘーゲルは述べています。だから現に奴隷売買と奴隷制とを廃止するために最善の努力をつくしたイギリス人が、彼らの自身によって仇敵として扱われたこともあったようです。アフリカの帝国では、自己の捕虜になった敵を売り払うということが、国王の一つの主要な契機であったのです。ところが、アメリカの奴隷制は法の根本関係をなしているのであって、その限りにおいてはアメリカの奴隷制は黒人の間にむしろ人間的なものを自覚させてきたとも言えます。黒人はヨーロッパ人によって、アメリカに売られてゆく、にもかかわらず、彼らの国における彼らの境遇はさらにいっそうひどいものであって、そこでも土着的な「奴隷制が自然に支配している」という。
このことは、日本でも言えるのではなかと考えています。奴隷制は奴隷とその主人との組み立てられているとすれば、日本では家来とその主人、臣下と主君、天皇と臣民、お上と国民、親分と子分などの組み合わせで成り立っています。戦前の日本も臣民としてしか身の置き所を見出すことを許されていなかった社会であったので、少なくとも彼自身においては善意でそうしている人々に支えられていたともいえます。終戦後、一億総懺悔のように「国民が頑張らなかったからだ、あやまるなら国民の方があやまれと」いわんばかりのことを政府は発表しました。けれども、政府が戦争を誘導し政府の指導のもとに、国民はすべてを投げ打って協力をした。しかし、国民は多大な犠牲を払いながら結局は政府が敗亡に導いたことについて、国民をこの悲況に陥れたことについて、これを国民の前に詫びるというような気配はほとんど見受けられなかった。宮城前に土下座して頭を垂れた姿を計らずも写真にとられたりしている人々、他に気特のもっていきどこらのなかった健気な民草たちは、政府の人々の眼には、同胞であるより、人的資源の使いのこりとしか映じていなかったということであるのかも知れぬ。
(12日 加筆)

参考


「・・・騙されたものの罪は、ただ単に騙されたという事実,そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なく騙されるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切を委ねるようになっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。それは少なくとも個人の尊厳の冒涜《ぼうとく》、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。・・・」「戦争責任者の問題」について映画監督伊丹万作0

参考

私は大きい政党にも小さい政党にも関係してその首脳部において働いて来たが、どうしても政党はできないで皆郎党になってしまう。その根本はやはり封建時代の未開の魂がすっかり染み込んでいて文明の魂が入り得ないからである。政党というものはいうまでもなく主義方針により離合集散を決定しなければならぬが、日本では皆親分子分の主従関係という頭でやっている。これでは政党はできない、郎党である。「昭和20年12月25日毎日新聞尾崎行雄