同化政策

広島地方裁判所の草野検事正から11月9日午後10時発で草野検事正から11月9日午後10時発で司法大臣芳川顕正あての電文芳川顕正あての電文です。

平山岩七外壱弐人ト共ニ王妃二当ルへキ女ノ手ヲ取ヲ取リ次ノ間へ引キ出シタルヲカタハラヨリセノヨカキヲトチ之ヲ斬殺シ其時二引出シタル者ノ手ニ怪我ヲナシクリ其ノ女ノ顔ハ若カリシモ乳ヲ改メタルニトシシトリタル者ニテアリタリトノ事及宮内大臣ニ当ルへキモノヲ日本士官ガ銃撃シタルニ猶ホ逃サアトセシヲ自分力右ノ肩二切り付ケタリトノ事ヲ只今自白シタリ


大英帝国会議の資料の「日英関係に関する覚書」です。当時のイギリスでは日本をどのように考えていたかを示す史料です。

日本人は狂信的な愛国心、国家的侵略性、個人的残忍性を有し偽りに満ちており、日本は本質的に侵略的な国家である。日本人は自分たちの将来に偉大な政治的未来があると信じている。……すべての日本人は近隣の黄色人種、褐色人種よりも優れているとの優越思想を生まれたときから教えられてきた。そして、近隣諸国に日本独自の文化を押し付けることを道義的儀務とさえ考えている。この日本の侵略的な野望とイギリスの適正な要求とを調和する余地があるであろうか。道義的に日英はあまりにもかけ離れている。このようにイギリスの理想と日本の野望が異なる以上、両国の間に共通の基盤を確立することは不可能である。日本の教育や商業、組織や規律もドイツ式であり、このため日本人の性格も自然にドイツ的になっている。日本が東洋のプロシャになるというのは決して誇張ではない。日本は膨張しなければならないといわれている。確かにそのとおりである。しかし、なぜ日本は既に手に入れた朝鮮・台湾・満州・俸大・モンゴルなどに発展しないのであろうか。日本の膨張する人口をこれらの地方で処理できるのではないか。また、資源の面から考えれば、日本の政治目的は大英帝国の部分的消滅をともなうものであり、日英間に協力すべき共通の目的は存在しない。この日本の野望をわれわれが容認できないとすれば、日本の野望を武力で阻止する時がくることを決意しなければならないであろう。日英同盟は砂上に建てられた建物に過ぎない。・・・・

>拉致誘拐にしろ、輪姦にしろ、被害者がどうなったのか、心が痛みます。

被害者には日本政府として賠償責任があることは疑いもないことです。ところがこのような問題は政治的に処理され解決されておることになっております。文化的な発展や進歩に見離され、体制の幸福にあずかることを知らぬ民衆の生活が存在しておるということでしょうね!

戦前の日本は人間が人間であることによって平等に取扱われるというわけにゆかなかった社会ですので、即ちいわゆる民主主義の諸原理が確立される以前の社会です.

昭和20年の碁に尾崎行雄氏が「議会」というものについて語った次のよう言葉があります。

「私は大きい政党に小さい政党にも関係してその首脳部において働いて来たが、どうしても政党は出来ないで皆徒党になってしまう。その根本はやはり封建時代の未開の魂がすっかり浸み込んでいて文明の魂が入り得ないからである。政党というものはいうまでもなく主義方針により離合集散を決しなければならぬが、日本では皆親分子分の主従関係という頭でやっている。これでは政党ではない、徒党である」(毎日新聞、昭和20年2月25日、「時局を語る」より)

生涯民主的な憲政のために苦闘したきた老政客から出た批判ですが、今でもそう思うことが、しばしばです。

日本の朝鮮統治は植民地政策というよりも同化政策であって、他の植民地政策に見られない大きな特徴がある。

植民地支配においては弾圧が行われるのは世界に共通するが、日本の朝鮮支配では、それが徹底した同化政策を伴う点に特色があった。つまり、朝鮮は属国でもなく、植民地でもなく、朝鮮は日本の「延長」であると日本の政府は言っていた。その根拠は、朝鮮は日本の版図であり、朝鮮人は帝国臣民であるという点に求められている。

この政策が具体的にあらわれると、日本式の風習・日本語などの日本人意識の強制によって朝鮮人の伝統的な風俗・習慣・言語の否定となり、さらには朝鮮人民族意識の否定しなければならなくなる。

現実に朝鮮人の姓名を日本式のものに改めとことが強要され、公開の場での朝鮮語の使用が厳禁された。日本側から同化政策と言われたものは、ある意味では民族抹殺政策だとも言えよう。

こういう政策に対して少数の日本人は反対し、その不当を指摘したが、大多数の日本人はすくなくとも反対はしなかった。

それは朝鮮人を独自の価値ある民族とみる意識や朝鮮に対する植民地支配についての罪悪感・責任感の決如で、朝鮮支配は劣等な朝鮮人を世界の一等国民である日本人に引き上げてやるものとであり、支配は朝鮮人を苦しめるものではなく、恩恵を与えたものと考えられていたのであろう。このような朝鮮に対する優越感や蔑視感は多くの日本人にとって当然かつ自然なものと考えられていたのでる。

だが、現在も第三国人という言葉が示すように、侮蔑的意識は今なお苧をひいて存在している。

その理由として日本人は欧米諸国に対しては敗北したという意識をもっているが、ところが朝鮮に対しては、敗北の意識が全くなく、ただ連合軍に敗北した結果、朝鮮を失ったと思うだけの敗戦意識が考えられる。

したがって、朝鮮に対しては、朝鮮支配を反省することもなく、現実に朝鮮が日本の支配下から独立したことを知るだけで、朝鮮に対する意識は基本的には改まることなく、古い意識が存在し続けて、こういう意識を現在でも多くの日本人がいだいているのである。

戦後朝鮮は見わたす限りの山々に、樹木が一本もないばかりか、雑草さえも生えていなかったと言う。これは当時の虐政の具体的な表れであろうと思う。

朝鮮人に対する偏見をいましめ、それを生み出した朝鮮への植民地支配を批判した日本人は戦前もいた。朝鮮人は独自の歴史や文化をもつ民族であり、対等な外国であろうと思う。