天下とは天下の天下

半世紀以上も前の事柄に対して、なぜ戦後世代が責任を負わなければならないのか

上記の考え方に若い世代の中に共感する者が少なくないと思います。私も戦後生まれですから直感的にかなり分かりますが。しかし、最近でも国内では靖国神社の問題が少しずつニュースに流れ、今、現在、戦争が世界の中で現実に起こっています。パレスチナ問題、テロ問題、また貧困や飢えに苦しむ難民救済や発展途上国の人平和に見えていても、国家間の微妙な問題を抱えていたり、衝突の危機をはらんでいたりする国もあります。これすべて、戦争責任問題との関わりは大といえます。そこで歴史を振り返り、歴史を正しく認識することが必要ではないかと考えます。押し流したかんがえでは正しく認識できないのではないでしょう。
「時の数の理論」すなわち、自分の国の利益ばかり考えている思想では到底自分の中ででは消化されないのではないでしょうか。
たとえば、「日本が引き起こしたあの戦争により、中国人民およびアジア諸国の人々、自国の国民にまで大きな被害がもたらされた」という認識ができるかどうかは自分自身では重要なことです。なぜなら、過去の出来事のすべてのうえに自分という存在が成り立つのではないかと考えるからです。
私は歴史学者ではありませんので細かい資料についてはあまり関心ありませんが、人の死についての状況を考えると自然に悲しくなります。「なぜ、こんなことになったのか」「だれが、こんなことをしたのか」そこにこだわりがあるからです。

万万人(万人の強調)は身も心も同じ同一の一人である。一人の人間がいったいだれを天子とし、だれを民とするのか。目の前の人々を見てみよ、背丈に大差なく、心もほぼ同じであり、みな同じ身体と心をもっている。よって自然において天子というものはありえない。天子とは私利私欲をもって上に立つという誤りを犯して以来、人間世界に出現したもので、これをしらずに尊いものとして奉るのは、とんでもない誤りである。こんなことも知らないとはひどい誤りである。さらにいえば、歴史上天子様が現れてからその下に初めて争乱が起こった、その後いつまでも天道を盗んで止むことがないので、争乱はいつまでも絶えることがない。天下をはなはだしく害するものであり、悪をはびこらせる道具である。
農とは生きること。習いも学びもしなくても、天地と一体となって耕し織ることによって、安らかに食い安らかに着て、少しの利己的な行いをするという罪がなく、まことの天子そのものである。このように農民こそ本当の生知・安行の天子である。
この農民への称号を盗んで、天道を掠めるものらの名としているのは、転倒した誤りである。

人間とは米穀を食べて成長するのだから、人間とは米穀そのものである。これ以外のありようはない。天子も食うことで生きている。死んでしまえば土にかえりもとの穀物、つまり食となる。したがって何を言い何を語ろうと、聖人の教説も説法も、泣くも喚くもすべて食のためである。

天子の初めは知に長け権謀を好んだ。そこで私心をもって勝手に天子となったのである。上にたって万民の天下をおのれ一人で私物化し、耕さずに貪り食って民人の上に君臨したために、いつしか贅沢になずむようになり、これが人の世を乱世とした始めでる。

「天子は民をわが子である」と言ったというが、はておかしきことを言うものである。
天子は耕さずに民の米穀を貪り食っているのだから、天子は民に養われておきながら「民はわが子」とうそぶくとは、なんたる高慢な言い草であろうか、おのれを飾って天地自然の法則を歪めておきながら、このような転倒したせりふを吐いているのだ、はなはだしい誤りである。
また、「民に施す」と言っているが、自ら耕さず、米一粒・銭一銭生み出しておらず、天子のものなどはただの一つもないのである。一体どうして民人に施す力があるというのであろうか、おのれは耕さず貪り食って常に民人の施しを受けておきながら、逆に民人に施すとはもってのほかである。
なにからなにまで民人に養われている身でありながら、それを省みずに民に施すと言っているのだ、おのれが民に養なわれている民の子でありながら、民はわが子などとほざいている。狂人とか言いようがない。

天下とは天下の天下であって自然の天下である。天子のものではない。だから勝手に天下とは譲ったり譲られたりするものではない。農民こそ天子である。と先生は言われている。

先生曰く
「武士は世の中の治安を守り、農は食を生産し、工は家を造り、商は物を流通させる。
これは天下の政法とし、理にかなっているかのように聞こえるが、実は武士を置くのは民人の生産物である穀物を略奪し、もし勇敢にもこの防ごうとすれば、君主が大勢の武士を繰り出してその者を捕らえて抑圧するためにこしらえたものである。また、君主の命令に背いて徒党を組んで敵対する者があれば、この武士を使ってその者らを討伐するための備えでもある。天子は自分が自然の天下を私物化しているので、他の者に反撃されることがこわくて、武士団を作ったのだ。だから武士とは乱世を継続させるために存在し、君主の下にある大勢の武士は徒食集団なので、耕す者が減り乱世を招来することになる。

工とは大工やさまざまな器物を作る手工業者のことである。この職業を作ったのは、贅沢な家や城壁を築くためであり、美しい服や贅沢な生活をするためであり、戦いに備えるためであって、すべて私利私欲のためである。これによって天下に諸物が流通して便利になったかのようだが、実はこれが浪費の原因となるのだ。だから必要もないのに贅沢な家を造り、器物をこしらえ、船を造って万国に渡航し、珍しいものが自由に流通するかのようだが、それが天下の浪費を生み大乱のもととなる。そこで結局欲をつのらせて計略をめぐらし、他国まで奪い取ろうとして大海の波浪のかなたに渡り、大軍を派遣して大乱を引き起こし、天下の大変をまねくようになる。ああ、天子がこの世に現われなかったならば、天下万国の人々は天地とともに生産労働をして、みずからの手で家や器物を作り、むだな贅沢や乱による憂いもなく、天地とともの生きて死ぬという人間らしい生き方ができたものを」と言っている。

武士とは徒食集団なので、耕す者が減り食が減るだけである。工は贅沢な家や大きな城郭などの無益なものを作り、商は利益をはかるためのもので、すべて天下の浪費であり、乱を引き起こす根本原因であるということです。
先生の考えは、自由・平等・統一・独立そして男女の不平等もなく、もとより一夫一婦で、したがって上下貴賎尊卑などあろうはずもない。
先生の思想は封建廃絶で愛すべき日本の理想が最高度に結晶たおそらく日本の「人間平等」「民約」の原論ともいえるもので世界に誇れるものである。