犯罪者の子供

親があるとき犯罪を犯したから、「それゆえに」子も犯罪者だということはない。

そのような理由で子を犯罪扱いすることは、明らかに不当である。もし仮に親が犯罪をおかしたという理由で子が犯罪者扱いされたら、子のなすべきことは、そのような扱いの不当性、根拠のなさを訴えることであり、親が犯罪を犯したという事実やその罪を否認することではない」(私の考え)


侵略や戦争犯罪の「罪」を負う人がその「罪」を否定するのは自分の「罪」から逃れたいためだろう?。

だが、侵略や戦争犯罪に参加したことがない我々が「罪」を否定するのは、自ら国民感、民族感に立つあまり、直接の戦争責任あるいは「罪」と「戦争責任」とを混同していることが多いからではないか。?

自ら「日本人」の同一性あるいは連続性をあまりに強固に考えているので、直接の責任あるいは「罪」を負った先行世代から適切に距離をとることができず、先行世代の「罪」と自らの「戦争責任」とを区別することができないのであろう。?

すなわち、あまにも強く自分をそれらの国家に「同一化」しているので、それらの国家の犯罪がただちに自分の犯罪であり、日本が過去に犯罪を犯していたら、自分と同一化にする日本は「罪人」であり「子々孫々まだ」罪人扱いさえざるをえない。そうならないためには、「大日本帝国」は犯罪を犯していなかったのでなければならない思うことになる。?

この前提に立つかぎり、自分が犯罪でないと言えるためには、大日本帝国が無罪であったのでなければならなくなるだろう。

彼らが知らないのは、自分の所属する国家がかつて犯した過ちを批判し、戦前の日本指導者から連綿と続いている思想を断ち切っていくことが、過去に問われない自分が自分でしかないという主体性のある存在になるということ、そこに、過去、現在問わず、国家の政治責任を常に追及する目が養われてくることを。

この目こそ、日本をよりよい方向へ導く文化的思考というべきではないか