民は被害者

明治憲法のもとでは民人は戦争責任に関しては無実であり被害者であると思います。

明治憲法下の自由と権利は人間固有の権利ではなく上(かみ)が臣民に恩恵として与えてくださるものだというような考え方で認められていたので、当時の民人は人間が人間として生まれながらに当然にもっている自由と権利は臣民として剥奪されていました。
たとえば、言論、著作、集会、結社などの自由も時の権力者が自分たちの利益や地位をまもるため「安寧秩序」とか「善良の秩序」というような言葉で都合よく制限、剥奪していました。つまり言論やその他の自由の保障はほとんどないにひとしかったのです。

このような、一切の表現や結社の自由を封じ込められて、戦争目的のためにあらゆる権力が網の目のようにこまかく統制されていた。つまり、だれでも特高憲兵にらまれたら最後、どんないいがかりをつけてひっぱられるかわからないので、大きな声では話もできない。たとえば、議会においても、現政府に批判的な発言をした者、ならびに、それに賛同して拍手をした者たちまで、登録監視していました。また教授、教師、学徒の言論を監視し、暴力的恫喝などを利用していうことをきかしていました。

ウソと思う方がいましたらいくらでも実例をあげることができます。

このようないわば恐怖政治のもとでは、「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿にならって、ただ黙々と上から命令され号令をかけられるままに動いて生きるほかないのである。

この私も「政治哲学」のトピで非理知的な暴力的カキコにより三猿にならざるを得なかったことがありました。

まぁ・・バカものはどこにもいますので仕方がないですがね。

つまり、民人は、すべての人間性を否定され、牛馬にひとしく奴隷扱いをされていたといってもよい。

そして少しでも勇気をもって正しいことや批判的なことを発言してみても、その発言は完全に撲殺されて世間には伝わらないうえに、自分はひっぱられてひどい目にあうだけのことだから、黙して語らない智者も少なかったのである。

とにかく、このようにして、正しい意味ではものを考え、ものを言い、ものをきくことができないような情況が作り出されたなかで、国の指導者たちは、私のようなおとなしい民人をみづれにつっ走て、戦争に突入したのである。

たとえば、学園で理知をみがきつつあった学徒が、「諸君こそ祖国をまもる神兵中の神兵だ」というむなしい激励の言葉で、理性を無視し知性を否定さて、とうとうい未来と生命を奪われた。また、民も同じである。

以上のように民人は一方的に上からいわれるままに動くほかなかった恐怖政治のもとでは戦争責任に関しては無実であり被害者であり、戦争責任のすべては民をそのようにおいこんだ日本を指導したものたちにあると思います。