個人の尊厳

当時の毎日新聞には「日本政府は占領二カ月間には基礎的な民主主義的改革を指向する動きはほとんどみせなかった」と伝えています。人々は衣食住の問題に追われてそれどころではなかったと思いますが、戦前の日本には、個人の尊厳はまったく存在していませんでした。民主主義にいたっては、未だかつてどのような形式にしろその経験がなかったからです。だから、日本では戦争を積極的に指導した政府の人々の間では、日本を戦争あるいは敗北にみちびいたことにたいして、またこの状況に陥れたことについて、すべてを投げ打って協力をした国民の人々の前に詫びるというような気配はほとんど見受けられませんでした。しかも「一億総懺悔」のように「国民が頑張らなかったからだ、あやまるなら国民の方があやまれと」いわんばかりのことを政府は発表します。
天皇がいる宮城前に土下座をして頭を垂れた姿を計らずも下記の写真にとられたりしている人々、他に気特のもっていきどこらのなかった健気な民草たちは、政府の人々の眼には、同胞であるより、人的資源の使いのこりとしか映じていなかったということであるのかも知れぬ。
しかし、終戦にいたるまで、言論の弾圧や思想の統制の狂暴な嵐があまりにもながくつづいたために、わが国人の民主主義的傾向は文字どおり仮死の状態にまで立ちいていたことを思えば、しかたがないことである。
日本国民は袋のネズミのようなもので、外から入ってくることもむずかしいが、いざという場合に国外へ亡命することも容易ではないです。今でも離党では犯罪が少なく、戸締りをしない習慣が残っているのはそのためです。日本の外敵といえば、アイヌ、クマソくらいのもので、これらはほとんど日本民族の中にとけこんでしまっています。外界とのつながりがないからです。そして、この四つの島に、世界でも珍しい単一種民族が生ます。いや、日本民族といっても、もとは、海外からの雑多な種族によって構成されているのですが、民族意識が単一で純粋なのです。
アメリカの原爆計画はミッドウェー海戦後の1942年9月、マンハッタン計画により始まり、ポツダム会談の1日前に完成した。ポツダム宣言のなかの「迅速且つ完全なる破壊」とは原爆投下の脅迫でもあった。アメリカ大統領トルーマンは「日本人による許し難い真珠湾攻撃と戦争捕虜殺害であります。野獣を野獣として取り扱わなければならない」として原爆投下に踏み切っている。すでに前年の9月に米英は原爆投下をドイツでなく日本に限定することを決定しています。
トルーマン発言にみられるように、究極の戦略爆撃・無差別殺人として原爆投下には、早期終戦・人命尊重の立て前の裏に、アジア人・日本人への人種主義的差別意識があることは明らかである。さらに政治的背景としては、戦後世界政治においてソ連に優越する地位を得ようとするアメリカの国際的エゴイズムです。