明治以前は天皇はなんと呼ばれていたのでしょうか。

明治政府は、明治十六年四月六日に天皇の称号を「皇帝」と表記するとした。

次いで同二十年六月九日、宮内省は内閣記録局へ「天皇」の尊称は内事に用い「皇帝」は内外に通用させるとした。

そして、君主の公式称号を皇帝称号から天皇称号に代えたのは、昭和十一年四月のことであった。

これからは歴史を語るときは、明治から昭和十一年四月までは、天皇を表記するときは「皇帝」としなければならんと思う。

ちなみに、江戸時代は、「天皇」という呼称はダイリやキンリとかミカドと呼ばれていたようです。

それで、岩倉は王制復古後に「天皇に称するに一定する」ように主張した。民権派では一般的な「皇帝」が憲法草案でも多く使われていたようです。

明治国家を建築した自覚的推進者らが天皇を「玉」と呼び、「玉を抱く」「玉を奪ふ」などの隠語で盛んに用いられ、政治的術策を「芝居」と呼称したことなどは、彼らが伝統的規範意識から脱却していたことを表しているのでしょう。

天皇の伝統的価値が自覚的推進者らによって信仰せられたからではなく、天皇への信仰から解放された者だったから、「玉」を自由に操り、そこに国家建築が可能となったのでしょう。

そして、天皇を支配の禁忌として創作し、常民をその禁忌を通して、政治領域から永遠に疎外する制度としての天皇が生まれた。