賠償請求

講和会議でアメリカは日本に対する賠償請求権を調印国に放棄させられました。ただし現実に日本に占領されて損害を受けた国の請求権は条件つきで日本との個別折衝にゆだねられ賠償を払ったのは、ビルマインドネシア・フィリピン・南ベトナムの4カ国だけでした。のちにアジア諸国から不満が噴出することになります。日本の隣国たる中国、朝鮮、ソ連との国交はこの会議では回復しなかった。
そして、田中首相のとき、中国の譲歩により日中共同声明が調印されました。ここに「賠償請求の放棄」謳い日中復交は実現しました。中国が妥協を急いだのは対ソ関係の基盤を強化するためと文化革命で破壊された中国経済の建て直しをはかり近代化を進めるために、日本の協力を望んだからだと言われています。
この共同宣言では「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と述べています。
韓国ついては、日本の朝鮮侵略、植民地支配が武力による強制であるとの立場から謝罪と賠償を要求したのに対し、日本側はあくまでも合法とし、両国主張は真っ向から対立して進展しませんでした。しかし当時アメリカはベトナム戦で苦境におちいりおり、韓国も軍事クーデター直後の政治、経済、社会的な危機があったので、アメリカの強い要求で日韓関係の正常化が図られました。
結局過去に関する問題はうやむやにされ、日本側が提供する資金も賠償としてではなく「請求権資金」とか、「独立祝賀金」という表現となり、当時の軍事政権はこの資金を軍事政権維持のために使い、日本は対韓経済進出の足がかりとして活用したのです。
韓国ではこの条約に反対する全国民的な運動がおこりましたが、二度にわたる厳戒令によって反対運動を押さえ込み日韓基本条約及び諸協定が調印されました。
この会談は、アメリカの強い要求のもと、アジアの反共体制を強化するため、アメリカの極東戦略の一環として強行されます。