国策遂行要領再検討

昭和16年(1941年)10月30日
第65回大本営政府連絡会議(議題:国策遂行要領再検討)

資料1: 昭和十六年十月三十日(木)第六十五回連絡会議(『大本営政府連絡会議議事録 其の二』(杉山メモ)96画像左〜101画像右)
資料2:昭和16年10月30日(『機密戦争日誌 其三』187画像〜188画像右)

 昭和16年(1941年)10月29日と30日、大本営政府連絡会議が開かれ、前回に引き続いて「国策遂行要領」の再検討が行われました。
 資料1は、その会議録です。この資料によれば、この会議では「物ノ見透シ」、「外交ノ見透シ」について検討が行われました。前者については、液体燃料と鉄について検討されています。まず、液体燃料については、鈴木企画院総裁から人造石油で供給する場合と南方作戦を行った場合について説明がありました。ついで、鉄については昭和17年度(1942年度)は、16年度の需給を基礎とすれば賄うことができるが、船を300万トンが必要であり、これを維持するためには毎年60万トンの造船が必要となる、と説明しています。また鈴木はこれについて海軍の意向を尋ねています。これに対し海軍艦政本部総務部長は、昭和17年度から21年度までの鉄の必要量を回答してます。これらの議論に対し、賀屋大蔵大臣は、鉄と船についてはまだ不安が大きいので、さらなる検討が必要である、と発言しています。後者については、議論を経て以下のように決定されました。
1、日独伊三国同盟条約に関しては、従来通り変更無し。
2、「ハル4原則」の適用については、今までアメリカ側に述べたことはやむを得ないが、「条件附ニテ主義上同意」と述べることも不可であると述べた。
3、中国における通商無差別問題については、「無差別原則カ全世界ニ適用セラルルニ於テハ」との条件を付加することを条件に「南西」を省いても差し支えない。
3、仏領インドシナからの撤退は従来通り。
4、中国からの撤兵と駐兵については、従来通り。ただし、駐兵期間については25年を目途として交渉を行なう。
 また、アメリカ側の提案をすべて日本が受け入れた場合はどうなるか、についても検討が行われ、他の全ての出席者が「日本ハ三等国トナル」と判断したのに対し、東郷外務大臣は、条件を少し下げて容認すればかえって好転する、判断し、出席者一同は奇異に感じた、とも記述されています。次回の会議についても記述があり、31日に開くことが提案されたのに対し、東郷と賀屋が「考えを整理したい」として1日おくことを求めたが、永野軍令部長と杉山参謀総長が急速に行うことを強く求めました。また、東条が11月1日には徹夜してでも決定しなくてはならないので、
1、戦争ヲスルコトナク臥薪嘗胆ス
2、直ニ開戦ヲ決意シ戦争ニヨリ解決ス
3、戦争決意ノ下ニ作戦準備ト外交ヲ併行セシム
(外交ヲ成功セシムル様ニヤッテ見タイ)
の3点について検討してはどうか、と提案しています。最後には、杉山のこの会議に対する観察が記述されています。
 資料2は、この会議についての『機密戦争日誌』の記述です。この資料によれば、杉山、塚田参謀次長らが、「引続キ結論ヲ求ムルベシ」と強硬に発言したが、東郷、賀屋が「考ヘサシテ呉レ」と言い、東条もこれに同意したため、12月1日に結論を出すこととなった、とあります。これに対しては「参謀本部独リ焦慮シアルモ国家ノ大事故亦已ムナシ」とこれを認める記述も見られます。対米交渉の条件に関しては、通商無差別に関する部分の「南西太平洋」の「南西」が削除されたことと、中国における駐兵期間については、おおむね二十五年を目途として交渉することが決定されたことに言及し、これは譲歩の限界を定めるものであって、これによって外交交渉を行うものではない、と記されています。また、これによって「条件堅持ノ一再」が崩れたが、それは全て海軍の発言によるものであり、これに対し、武藤章陸軍軍務局長、石井秋穂陸軍軍務課高級課員が同調的態度をとったことが原因である、としています。対米交渉案を起案した山本熊一外務省東亜局長やその部下に至っては言語道断である、とも記されています。さらに、アメリカ側の条件を全面的に受諾した場合に日本の地位がどのようになるのか、に関する外務省側の判断が「何モカニモ好クナル」とあるのは、「国賊的存在ト云フベ」きであり、「大イニ糾断〔原文ママ〕ヲ必要トス」るものである、とも記されています。