女王蜂

西欧の近代化によって自由・平等思想に対置されるものが、日本に実らなかったということだと思う。明治以降に作り出された日本社会では、いまだそこへ到達しえない。それは、まずしく暗い、封建制を濃厚に残した中世の突然変異の変種の社会で、政策の結果についてその責任がない国が近代国家などと胸を張って言うことができるのだろうか、近代国家などと言うよりも女王蜂と働き蜂の関係のような、突然変異の国家というべきだ。これは世界史上近代にいたってははじめて生み出されうる品種であり、しかも中世記的精神の継承・受精おいてのみ可能な交配種の一つである。駐日大使ジョセフ・グルーは「天皇はたとえて言えば、女王蜂のようなものです。女王蜂はなにも決定しないけれども、働き蜂から敬愛されている。もし女王蜂がいなければ、蜂の巣の社会は解体してしまうように、日本という国も戦後の再建における精神的支柱として天皇を必要としている。日本人は秀れた国民である」
最後に取って付けたような言葉があるが、グルーは日本に近代らしくない意識形態が色濃く残されていたことをよく知っていたようですね。

参考
「現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくはないのです。それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。「いや、何もかもすっかり野蛮なものでした〔言葉そのま!〕」と わたしに言明したものがあるかと思うと、またあるものは、わたしが日本の歴史について質問したとき、きっぱいと「われわれには歴史はありません、われわれの歴史は今からやっと始まるのです」と断言しました。なかには、そんな質問に戸惑いの苦笑をうかべていましたが、わたしが本心から興味をもつていることに気がついて、ようやく態度を改めるものもありました。(菅沼龍太郎訳ベルツの日記 明治9年10月25日)