天皇は人為的に作られた

中国で「皇」が付くのは中国皇帝だけで、東海の島国が勝手にへんな称号を使っているとなると、国交断絶になりますからね。だから、内緒で皇帝を持っていただけで、暗号のようなものであったのです。「天皇」という言葉は、江戸時代の口語、公家日記、公家随筆などには出てこない。
実際、「お上」とか「御門」といって言っていたが、「お上」は常に宗教的尊敬の対象にすぎなかった。
明治十年の西南戦争までは「御門」で、やがてシュタインを通して、ドイツから、皇帝カイゼルの他を罵倒する「皇帝」という印象というものを知った。そこで、旧藩主や民に対して恫喝する必要性を感じ、カイゼル皇帝みたいな威厳をつけために、ドイツの「皇帝」のマネでして西南戦争の翌年に「御門」は「天皇」になったのである。
明治維新になって人工・対外的に「天皇」が作られたということである。

李筱圃は明治13年日本に遊歴し、日本の各方面の知識をまとめた雑記集である「日本雑記」や「日本記海」で京都御所を参観した感想に「地所は小さく、規模も狭く・・・昔は簡素であたことが充分分かる」と書いた。また、政治を語るとき、たびたび「国王」という呼び方を使っている。

当時の中国人は「天皇」という呼称を知らなかったらしい。