東條英樹

尊王論も攘夷思想もともに封建思想であり、江戸時代を通じて存在していたが、両者が一体化して国家体制の変革を主張するきっかけとなったのが、外国船来航などの外圧である。アメリカのペリー総督が黒船を率いて浦賀にきました。はじめのころの尊王攘夷運動は、たんなる鎖国政策の堅持ということでしたが、それでは列強の開国の圧力に抗しきれないとわかってきます。とくに後期水戸学は、将軍が率先して天皇尊崇の姿勢をしめすことで大名・藩士・民衆の幕府への敬服をみちびくとともに、攘夷を外交の基本方針とすることで、ゆるみきった武士の気風をたてなおすため尊王攘夷(尊攘)を説いた。このように、はじめの目的は鎖国維持や幕藩制秩序の再建にあって、討幕をめざすような性格をもつものではなかった。
そこで、水戸藩主・徳川斉昭に代表される攘夷は、富国強兵を説くようになります。産業、経済を発展させて国を富ませ、その豊かになった財政資金で軍隊を強化して、列強から日本を守れという理屈です。この富国強兵策は明治政府にも受け継がれ、日本の国家目標になります。初めのころは列強、つまりアメリカやイギリス、ドイツ、フランス、こういう列強の植民地獲得競争から日本を守るために富国強兵をやるんだという考えていたのですが、まもなく征韓論だの台湾出兵などを契機にして、膨張主義と結びつくのです。そして、領土の拡張は国家民族の発展であると、誰しも疑わないで、国をあげて領土拡張政策を推し進めます。
本来は富国強兵は列強から日本の独立を守るための自衛のためでありましたが、それが、明治になって、領土拡張政策に変わってしまうのです。
太平洋戦争の遠因は、このような明治以来の領土拡張を目的とする富国強兵策にあるのでしょう。日本は政治家、官僚、軍人、マスコミを挙げてこの政策を推し進めてきたのであり、この歴史の流れに逆らうことは容易ではなかったでしょう。

昭和22年12月26日:東条証言台に立つ
東条口供書:日本はあらかじめ米、英、蘭に対する戦争を計画し準備したものではない
対米、英、欄の戦争はこれらの国々の挑発に原因し、我が国としては自存自衛のため、真にやむをえず開始せられたものである

キーナンの意図
12月31日に反対尋問を行ない、天皇戦犯問題にけりをつけるためのキーナンの東条工作すること。
木戸口供書が米国内では天皇の戦争責任を指摘したと解釈されていることに対する対策木戸口供書の効果を東条の証言で打ち消しをさせる こと。

キーナンの裏工作
ホイットニー少将は米内大将に「米国内には天皇戦争犯罪人として処罰せよという論者が少なくない。東条大将が天皇の責任について、こういう論者に油を注ぐような答弁をしたりすると大問題になる 」と東条の慎重な答弁を要望 する。

東条激怒:私が恥を忍んで今日まで生きているのは、この一点だけである。どうしてまずい答弁をするものか

神埼弁護人(畑担当)と東条に依頼
神埼:陛下は平和主義者で、戦争はお嫌いだったと思われるが、もしそのほうに思っておられるなら、ひとつお願いがあるが、この戦争は閣下が陛下かの命令にそむいて始めたものだと、法廷で証言してもらえぬか

東条: それは無理な注文である。
陛下の御裁可があったらこそ開戦した。
私は死を覚悟している。 臣下として一天万丈の君のご命令に背いて、この戦争を始めたなどと嘘の証言をしては死に切れぬ。私の身にもなって頂きたい

神埼の東条説得成功
 「陛下はいいやいやながら開戦を御承知になった」で合意


塩原と東条の答弁の練習
塩原:内閣や軍の最高機関が開戦のやむなきに決した。天皇はそうかと言われた
・・・
東条: それではかえって天皇にご迷惑がかかりはしないか
・・・
塩原:この答弁のほうが真実であり、責任が内閣にあることを明白にできる・・

キーナン安堵

昭和22年12月26日:東条証言台に立つ
東条口供書:日本はあらかじめ米、英、蘭に対する戦争を計画し準備したものではない
対米、英、欄の戦争はこれらの国々の挑発に原因し、我が国としては自存自衛のため、真にやむをえず開始せられたものである

キーナンの意図
12月31日に反対尋問を行ない、天皇戦犯問題にけりをつけるためのキーナンの東条工作すること。
木戸口供書が米国内では天皇の戦争責任を指摘したと解釈されていることに対する対策木戸口供書の効果を東条の証言で打ち消しをさせる こと。

キーナンの裏工作
ホイットニー少将は米内大将に「米国内には天皇戦争犯罪人として処罰せよという論者が少なくない。東条大将が天皇の責任について、こういう論者に油を注ぐような答弁をしたりすると大問題になる 」と東条の慎重な答弁を要望 する。

東条激怒:私が恥を忍んで今日まで生きているのは、この一点だけである。どうしてまずい答弁をするものか

神埼弁護人(畑担当)と東条に依頼
神埼:陛下は平和主義者で、戦争はお嫌いだったと思われるが、もしそのほうに思っておられるなら、ひとつお願いがあるが、この戦争は閣下が陛下かの命令にそむいて始めたものだと、法廷で証言してもらえぬか

東条: それは無理な注文である。
陛下の御裁可があったらこそ開戦した。
私は死を覚悟している。 臣下として一天万丈の君のご命令に背いて、この戦争を始めたなどと嘘の証言をしては死に切れぬ。私の身にもなって頂きたい

神埼の東条説得成功
 「陛下はいいやいやながら開戦を御承知になった」で合意


塩原と東条の答弁の練習
塩原:内閣や軍の最高機関が開戦のやむなきに決した。天皇はそうかと言われた
・・・
東条: それではかえって天皇にご迷惑がかかりはしないか
・・・
塩原:この答弁のほうが真実であり、責任が内閣にあることを明白にできる・・

キーナン安堵

戦争で勝利を収めた国々の「大東亜共栄圏」各地での日本軍の悪行が表にあらわれ、天皇も含めた日本帝国指導者を一括処刑せよという声が湧きたっていた状況で、ともかくにも強硬論をおさえて、被告人に弁護士選任を認める裁判という形式をとったということは、当時共産主義者の指導による敗戦責任を追及する大規模な民衆運動を展開していることについて、アメリカが日本国の戦後処理がスムーズに遂行するための、ひとつのポーズであるような気がする。
昭和21年1月25日、マッカーサーアイゼンハワー総合参謀総長に、極秘の電報を打った。「天皇を戦犯として裁けば、占領計画に重大な変更が必要で、百万の軍隊と数十万の行政官などが新たに必要・・・・・」米政府は、マッカーサー天皇を追訴すべきでないという、この電報で事実上、天皇免責を決めた。だが、最近ではトルーマンは、国際検察局の主任検事に任命されたキーナンが東京へ向かう直前の12月初旬には、天皇不起訴を決めていたという。つまり東京裁判は疑いもなく、アメリカの最善の利益のために演じられた劇ともいえよう。

国家の法律の法律、命令に対しては、一般には従う義務がある。しかし、国家の命令自体が明白に非人道的で残虐なものである場合には、人間としてこれを否定しなければならない。これは人間ととして認められた原則である。しかし、否定するにしても大多数の人間は凡人であってそんなに強い意志を持つものではない。そうである以上、実際に戦争になってしまったら、たとえそれが不義の戦いとわかっていても、国家命令への不服従という行動はとれないかもしれない。そのような弱い私たちでも、右のような勇気ある行動をとる人々をひそかに励まし、あるいはすくなくとも共感することはできる。そして何よりも、私たちは戦争になってしまえば国家命令に抵抗できないだろう自分の弱さを知っているからこそ、自分をそのとうな状況に追い込まないよう、弱い自分でも声を出すことのできるうちに、戦争に向かうような国家政策に対しては、「否」といっておかなければならない。
おそらくこれこそ、敗戦から私たちがくみとるべき最も重大な意味なのではないか。