至道無難

人のことでいろいろと思い悩んだり考え込んだりすることがいかにバカらしいか。いつも楽しいことだけなら、この世は天国。しかし、現実はそうはいかない。毎日の暮らしのどこかで、ちょっとだけ嬉しい事があったり、なんだかすっきりしないことがあったり。悲しいドラマを見て泣いてしまったり、人の温かな気持ちを知って自分の心も温かくなったり、いろいろなことに憤りを感じたり、きょうのテレビの運勢占いで今日の一日をいろいろ考えたり。人間は弱いですから、ちょっとのことで落ち込んでしまったり、自分の行為で悩んだり、なかなか難しいことですが、心の感情を抑えつけることが良いと思っている人が多いですが、実は心を押さえ付けることは反対です。思ったまま、悲しんだり、怒ったり、泣いたり、楽しんだり、いまを大切に生きること、自分をたいせつに思うこと、人をたいせつに思うこと、それをもっと、自分の生き方として身につけていく、自分自身のものとすることを、考えていかなければいけないと思っている。人生一回ですから、生き直すことはできないのですからね。歳は関係ない。

これらのことをたくさんの禅僧に教えられました。特に釈迦さんには「自分をたいせつに生きよ」、一休さんには「いまをたいせつに生きよ」ということを学びました。また、至道無難の行き方にはいろいろと考えさせられました。
ところで 「犬も歩けば棒にあたる」と言う言葉があるが、いずれにしても歩かなければ、「なるほど」にはあたらない。意味はちがっているといって文句をタレる人もいると思うが、意味自体を問いてるわけではないので、実際には犬のことではなく、自分の問題として考えさせてしまうのである。
しかし、いろんなことを、いろんな禅僧の言葉の中におおいに考えさせられることが多い。

しあわせってなに、
自信をもつこと、
自分をたいせつにすること
そして
自分とおなじくらい
ほかの人も たいせつにできること
レイフ・クリスチャンソもいいコトを言いますね。

ブッダの教えに一夜賢者の偈(げ)と言うようなのがある。
過去は過去、未来は未来、今日を昼夜怠ることなく実践せん。