密勅

賊臣慶喜を殄戮せよ,この月(十月)十三日、中山忠能正親町三条実愛、中御門経之の諸卿から、薩摩、長門の二藩に、左の密勅【注一】を下し賜わったと言う。
詔(みことのり)す。源慶喜、累世の威を籍(か)り、闔族(こうぞく)の強を恃(たの)み、みだりに忠良を賊害し、しばしば王命を棄絶し、遂に先帝の詔を矯めて懼(おそ)れず、万民を溝壑(こうがく)に擠(おと)して顧みず、罪悪の至るところ、神州まさに傾覆せんとす。朕、今民の父母として、この賊にして討たずんば、何をもって、上は先帝の霊に謝し、下は万民の深讐に報いんや。これ、朕の憂憤のあるところ、諒闇も顧みざるは、万止むべからざるなり、汝、よろしく朕の心を体し、賊臣慶喜を殄戮(てんりく)し、もって速やかに回天の偉勲を奏して、生霊を山嶽の安きに措(お)くべし。この朕の願い、敢えて懈(おこた)ることあることなかれ。
 慶応三年十月十三日奉
  正二位 藤原忠能
  正二位 藤原実愛
  権中納言 藤原経之

 これと同時に、わが公と定敬朝臣を誅伐すべき旨の密勅をも下されたと言う。

   会津宰相
  桑名中将
右二人、久しく輦下に滞在し、幕賊の暴を助け、その罪軽からず。これによって、速やかに誅戮を加うべき旨仰せ下され候事。
 十月十四日
  忠能
  実愛
  経之

(訓読文)詔す。源慶喜、累世(るゐせい)の威(ゐ)を籍(か)り、闔族(かふぞく)の強(きゃう)を恃(たの)み、妄(みだり)に忠良を賊害(ぞくがい)し、数(しばしば)王命を棄絶し、遂には先帝の詔を矯(た)めて懼(おそ)れず、万民を溝壑(こうがく)に擠(おと)し顧みず、罪悪の至る所、神州将(まさ)に傾覆(けいふく)せんとす。 朕、今、民の父母たり、この賊にして討たずむば、何を以て、上は先帝の霊に謝し、下は万民の深讐(しんしう)に報いむや。これ、朕の憂憤(いうふん)の在る所、諒闇(りゃうあん)を顧みざるは、萬(ばん)已(や)むべからざれば也(なり)。汝(なんじ)、宜しく朕の心を体して、賊臣慶喜を殄戮(てんりく)し、以て速やかに回天の偉勲を奏し、而して、生霊(せいれい)を山嶽の安きに措(お)くべし。此れ朕の願なれば、敢へて或(まど)ひ懈(おこた)ること無(な)かれ