徳川慶喜の宣言

「余は祖宗以来伝承の政権を擲ち、広く天下の諸侯を聚め、公議を尽し輿論を採りて国是を定めんことを朝廷に奏聞したるに、先帝の御遺命にて幼主を撫翼するの摂政殿下を始め、宮・堂上方数名、余が政権を還すことを承諾したり。さりながら、諸侯の公議相決するまで、諸事是までの通り政権を執行すべしとの勅命なるにより、其会議の期を待ち其席に臨まんとせしに、豈計らんや一朝数名の諸侯兵仗を帯して禁門に突入し、先帝の顧命の摂政殿下を始め、宮・堂上を放逐し、先朝譴責の公卿等を引入れて之に代らしめ、最前勅命の旨を変じ、公議を待たず将軍職をも廃止するに至れり。(中略)彼の幼主を挟み、叡慮に託して私心を行ひ、万民を悩ませる凶暴の所業を見るに忍びず、何分、国の為に弁論せああるを得ず。余は衷心より斯かる異見の向をも告諭して、公議・輿論を問ひ、偏に我国の隆治を祈ると共に、祖宗東照公愛民の余霊に依り、先帝の遺志を継がんことを欲し、天下と同心・協力して、正理を貫き事業を遂げ、公議を定めんと希ふの外他なし。ついては我国と和親の条約を結びし各国は、国内の事務に関せず、条理を妨げざるを要す。余、既に条約の箇条残る所なく 履行したれば、猶此上とも令誉を失はざるやう、各国の利益を扶け、追々全国の衆議を以て我国の政体を定むるまでは、条約を履み、各国と約せし諸件を一々取行ひ、始終の交際を全うするは、余が任にある事なるを諒せらるべし」(徳川慶喜公伝)