第2次世界大戦のとき、なぜゴムが必要だったんですか?

ゴムは飛行機や自動車などの生産に必ず必要なもので、日本とドイツのゴムのストックは枯渇に直面していました。英独開戦以来、マレーから日本に輸入されていた量は極めて少量であったので、昭和15年以降は、日本国内のストックは日に日に減少一途を辿っていた。そして日本は三国同盟の誼によりドイツにゴムを送らねばならなかった。アメリカも戦争が迫ってくるにつけてゴムの備蓄が乏しくなってきていた。ルーズベルトからアメリカの合成ゴム開発計画の監督を命じられたジェシー・ジョーンズは、戦争勃発時のアメリカのゴム不足は国際ゴム規制委員会(イギリス管理下の国際的規制)に責任があると非難している。アメリカは生ゴムの90%をマレ−やオランダ領東インドにあおいでいたからです。
マレーやビルマ、オランダ領東インドのゴムはイギリスが戦争を継続していくうえで不可欠な原料資源をアメリカに売ることによって、アメリカから物を買いいれるのに絶対必要なドルを手に入れることができたのです。1941年7月(昭和16年)のイギリス外務省の推定では、イギリスのゴムの保有量は数カ月分で一方、アメリカの場合、90%以上を日本軍の脅威にさらされている地域にあおいでいた。そして南部仏印には年産10万トンのゴムがあった。このゴムは昭和15年の秋以来、すべて英米に送られて日本には輸出せられなかった。日本はこのゴムの獲得を確実なものにするために、英米と一戦を交うる覚悟を以って7月2日の御前会議で強引に南部仏印の進駐を決定したのです。日米戦争の経済上の意義はゴム資源の争奪であるともいえます。