第2次世界大戦の終わりに、追い詰められた軍部・政府が降状を受け入れなかった理由って何なんですか?

第2次世界大戦の終わりに、追い詰められた軍部・政府が降状を受け入れなかった理由は非常に分かりやすく簡単なことです。

十 われらは、日本人を民族として奴隷化しようとし又は国民として滅亡させようと する意図を有するものではないが、われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人 に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は、日本国国民の間における民主主義的 傾向の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想 の自由並びに基本的人権の尊重は、確立されなければならな い。

上記はポツダム宣言の10条で、「われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える」一文があったからです。
どうせ処罰されるなら最後まで戦う、ということで、「国体維持」はその名目であったのです。



]第2次世界大戦のとき、なぜゴムが必要だったんですか?

ゴムは飛行機や自動車などの生産に必ず必要なもので、日本とドイツのゴムのストックは枯渇に直面していました。英独開戦以来、マレーから日本に輸入されていた量は極めて少量であったので、昭和15年以降は、日本国内のストックは日に日に減少一途を辿っていた。そして日本は三国同盟の誼によりドイツにゴムを送らねばならなかった。アメリカも戦争が迫ってくるにつけてゴムの備蓄が乏しくなってきていた。ルーズベルトからアメリカの合成ゴム開発計画の監督を命じられたジェシー・ジョーンズは、戦争勃発時のアメリカのゴム不足は国際ゴム規制委員会(イギリス管理下の国際的規制)に責任があると非難している。アメリカは生ゴムの90%をマレ−やオランダ領東インドにあおいでいたからです。
マレーやビルマ、オランダ領東インドのゴムはイギリスが戦争を継続していくうえで不可欠な原料資源をアメリカに売ることによって、アメリカから物を買いいれるのに絶対必要なドルを手に入れることができたのです。1941年7月(昭和16年)のイギリス外務省の推定では、イギリスのゴムの保有量は数カ月分で一方、アメリカの場合、90%以上を日本軍の脅威にさらされている地域にあおいでいた。そして南部仏印には年産10万トンのゴムがあった。このゴムは昭和15年の秋以来、すべて英米に送られて日本には輸出せられなかった。日本はこのゴムの獲得を確実なものにするために、英米と一戦を交うる覚悟を以って7月2日の御前会議で強引に南部仏印の進駐を決定したのです。日米戦争の経済上の意義はゴム資源の争奪であるともいえます。