同化政策

植民地支配においては弾圧が行われるのは世界に共通するが、日本の朝鮮支配では、それが徹底した同化政策を伴う点に特色があった。つまり、朝鮮は属国でもなく、植民地でもなく、朝鮮は日本の「延長」であると日本の政府は言っていた。その根拠は、朝鮮は日本の版図であり、朝鮮人は帝国臣民であるという点に求められている。

この政策が具体的にあらわれると、日本式の風習・日本語などの日本人意識の強制によって朝鮮人の伝統的な風俗・習慣・言語の否定となり、さらには朝鮮人民族意識の否定しなければならなくなる。

現実に朝鮮人の姓名を日本式のものに改めとことが強要され、公開の場での朝鮮語の使用が厳禁された。日本側から同化政策と言われたものは、ある意味では民族抹殺政策だとも言えよう。

こういう政策に対して少数の日本人は反対し、その不当を指摘したが、大多数の日本人はすくなくとも反対はしなかった。

それは朝鮮人を独自の価値ある民族とみる意識や朝鮮に対する植民地支配についての罪悪感・責任感の決如で、朝鮮支配は劣等な朝鮮人を世界の一等国民である日本人に引き上げてやるものとであり、支配は朝鮮人を苦しめるものではなく、恩恵を与えたものと考えられていたのであろう。このような朝鮮に対する優越感や蔑視感は多くの日本人にとって当然かつ自然なものと考えられていたのでる。

だが、現在も第三国人という言葉が示すように、侮蔑的意識は今なお苧をひいて存在している。

その理由として日本人は欧米諸国に対しては敗北したという意識をもっているが、ところが朝鮮に対しては、敗北の意識が全くなく、ただ連合軍に敗北した結果、朝鮮を失ったと思うだけの敗戦意識が考えられる。

したがって、朝鮮に対しては、朝鮮支配を反省することもなく、現実に朝鮮が日本の支配下から独立したことを知るだけで、朝鮮に対する意識は基本的には改まることなく、古い意識が存在し続けて、こういう意識を現在でも多くの日本人がいだいているのである。

戦後朝鮮は見わたす限りの山々に、樹木が一本もないばかりか、雑草さえも生えていなかったと言う。これは幾世紀にもわたる虐政の具体的な表れであろうと思う。

朝鮮人に対する偏見をいましめ、それを生み出した朝鮮への植民地支配を批判した日本人は戦前もいた。朝鮮人は独自の歴史や文化をもつ民族であり、対等な外国であろうと思う。