「昭和天皇独白録」には
「天皇が伊勢湾付近に上陸すれば伊勢・熱田両神宮は
直ちに敵の敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、
その確保の見込みがたたない、ここでは国体の護持は難しい」
として終戦の決断をしたという天皇の考えが述べられている。
当時、国体護持のために三種の神器の松代移転が考えられた、
三種の神器を守りえるか否かが戦争終結の最大の問題であった。
しかも、天皇御座所と三種の神器の安置場所であるかしこ賢所の
建設にかかわった松代の朝鮮人180人は、秘密を守るために消さ
れたという噂が松代町内で囁かれていた。