日本軍による日本人の虐殺

1985年2月元首相の近衛文麿天皇に戦争終結を上奏した。つまり、敗戦はもう明らかであるから、国体と国体護持を守るためには余禄のあるうちに戦争終結に動くべきだと主張したのである。近衛や木戸幸一や宮中グループ、岡田啓介や海軍長老たち、外務官僚吉田茂たちは反東条政権打倒以来の結びつきをもっていたが、同月には終戦工作に動き出していた。しかし、天皇は「もう一度戦果をあげてからでないとなかなか話は難しいと思う」として、近衛の戦争終結の進言を拒否したという。天皇は米軍にもう一度大打撃を与えて停戦交渉のきっかけにしたいという意思を持っていた。大本営も本土防衛のために軍隊を温存しつつ、わずかな戦力で沖縄戦を国体護符のために捨て石としたのである。
沖縄での戦死者は
軍94,136人、市民94000人。
このうち沖縄県人の戦死者は12万人で、
さらにマラリヤや餓死を含めると15万人に達するとされ、
実に県民の60万人のうち4人に一人が戦死したことになる。
住民の犠牲は日本軍によるものも多数含む。
軍は大本営の増援なしによる戦力不足を補うために17歳から45歳の沖縄男子2万数千人
しかも、この召集はかなりずさんで、15歳以下の少年や60歳以上の老人まで動員された。さらには戦闘協力者として師範学校・中学校生徒を鉄血勤皇隊として銃を持たせ、また女子師範学校・高等女学校の生徒をひめゆり部隊など通称で従軍看護婦として、戦場に動員した。学徒隊約2300人のうち1200人以上が死亡している。
住民約800人以上の犠牲は味方であるはずの日本軍によって殺害された。
たとえば、食糧強奪、殺人、幼児殺害、壕追い出し等です。
天皇は国家存亡の時でさえ、いつも自らの考えを表明する勇気を持たず、ただ情勢に流されるだけの魂なき人間だったのか、そして国体の問題だけで国民全体の命運を左右する、日本国家とは天皇のことだったのか、このような天皇のために皆死んだのか、と私は残念でならない。
そして戦後も、天皇として、国民の象徴として生き残り、戦争加担した権力者、恥なき戦争責任者たちが考え出した「一億総懺悔」で、戦争責任はあっさりと不問に付されてしまった。その集団がそのまま政治の中心に生き残り誰もその戦争責任を追及するものはいない。それどころか、本来なら戦犯として処刑されても仕方がないものであるのに、なおも国民に対し指導している。このことがこの政治における無責任さ、自分の利害だけが関心の的、この世は金次第といった風潮を生みだし、最近のニュースを賑わしている政治家が「恥」や「責任」を感じて謝罪をしないというのはこの辺からきている。