土方歳三の辞世の句

新政府軍は五陵郭に向かって進軍。歳三は台場山で大勝利を収めるが孤立状態になり、やむなく撤退。予め死を覚悟していた歳三は、小姓の市村鉄之助を郷里多摩の日野に使に出し遺品(写真・毛髪)と辞世の歌を託した。
孤立した弁天台場を救出すべく五月十一日額兵二小隊だけで向かうが、一本木関門付近にて馬上の歳三の胸に銃弾が炸裂。土方歳三義豊 享年三十五才、壮絶な散華となる。

「たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも
魂は東の君(君主)やまもらん」

新撰組副長 土方歳三の辞世の句です。

自分の夢が破れ、死んでいくことが、唯一の
生きる道と思っていたのでしょう。いつも、胸の内に
死を覚悟して遺品を携えていたのです。

今まで、生死を共にした仲間のほとんどもういない。今までの成り行きで戦い続けなければならなかった。自分でも世の中の体勢は理解していたので、死ぎ場所を求めていたのでしょう。なんと、潔い生き方ではないかと思う。
私も死がなければならないときは、土方歳三のように、正面を向いて死げるだろうかと自問することがある。(ぶるぶる震えて死ぐよりも、どうせ、死ぐなら堂々といきたいものですね。)