原爆投下

原爆投下について、時のアメリカ大統領トルーマンは、次の回想を残している。

「彼ら(日本人)が解すると見られる唯一の言葉は、われわれが爆撃という手段を通じて、彼らに使ってきた言葉だけなのです。野獣を相手としなければならないときには、野獣を野獣として取り扱わなければならないのです。」(原爆使用に抗議した全米教会連合書記サムエル・M・カヴィート宛の手紙 1945.8.11)

 

 対日投下を示す最初の公式文書は、1944年9月19日に、ルーズベルト米大統領チャーチル英首相との間で交わされた秘密覚書「ハイド・パーク協定」である。この協定第一項には、次のように書かれている。

 「『爆弾』が最終的に利用可能となったときには、熟慮ののちそれはおそらく日本人に対して使われることになろう。日本人に対しては、この爆弾投下は、彼らが降伏するまで、繰り返し行われるという警告が発せられるべきである。」

 原爆を日本に投下すること自体は、議論の余地がなかった。問題は投下方法であった。5月31日から2日間開かれた暫定委員会で次の3項目勧告が大統領に提出された。
① 原爆はなるべくすみやかに日本に対して使用されるべきである。
② それは他の建物に取り巻かれている軍事目標 ― 二重の攻撃目標に対して使用されるべきである。
③ それは兵器の性質に関する事前通告なしに使用されるべきものである。
 これは軍事施設と民間建造物が同居した、最大の爆破効果が得られる目標を選ぶことを勧告したものであり、明らかに多数の一般市民を殺傷する事をねらっていた。