明治憲法下、天皇が政治的案件で配下のものから要求されたことを拒否したことなどありましたか?

天皇は「政治的案件で配下のものから要求されたことを拒否したこと」がなかったからといっても、天皇は自分の意に反しても、政府の決定には裁可せざるをえないというのは、まったくのデタラメである。正式の裁可奏請の前にその案件について「内奏」が行われ「ご内意」示される。このやり取りは内大臣あるいは侍従武官長を通して行なうときもあれば、首相ないし各大臣が直接天皇に会って行なうこともあります。天皇が納得して「よろしい」といえば、政府は正式に裁可を請い、天皇は裁可することになっているのです。
もし天皇が示した「後内意」に大臣がしたがうのを欲しないなら、辞職しなければならなくなる。田中内閣や小磯内閣などがそうです。天皇の「ご内意」の「質問」はときには示唆であり、命令でもあったのです。

敗戦の翌年の2月に天皇裕仁侍従長藤田尚徳に次のように述べています。
「申すまでもないが、戦争はしてはならないものだ。こんどの戦争についても、どうかして戦争を避けようとして、私はおよそ考えられるだけは考え尽くした。打てる手はことごとく打ってみた。しかし、私の力の及ぶ限りのあらゆる努力も、ついに効を見ず、戦争に突入してしまったことは、実に残念なことであった。 ところで戦争に関して、この頃一般で申すそうだが、この戦争は私が止めさせたので終わった。それが出来たくらいなら、なぜ開戦前に戦争を阻止しなかったのかという議論であるが、なるほどこの疑問には一応の筋は立っているようにみえる。如何にも尤もと聞こえる。しかし、それはそうできなかった。
申すまでもないが、我国には厳として憲法があって、天皇はこの憲法の条規によって行動しなければならない。またこの憲法によって、国務上にちゃんと権限を委ねられ、責任を負わされた国務大臣がある。
この憲法上明記してある国務各大臣の責任の範囲内には、天皇はその意思によって勝手に容喙し干渉し、これを掣肘することは許されない。だから内治にしろ外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議をつくして、ある方策をたて、これを規定に遵って提出して裁可をを請われた場合には、私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外に執るべき道はない。
もしそうせずに、私がその時の心持次第で、ある時は裁可し、ある時は却下したとすれば、その後責任者はいかにベストを尽くしても、天皇の心持によって何となるか分からないことになり、責任者として国政につき責任をとることが出来なくなる。
これは明白に天皇が、憲法を破壊するものである。専制政治国ならばいざ知らず、立憲国の君主として、私にはそんなことは出来ない」昭和天皇侍従長回想録 藤田尚徳 著

天皇は「こんどの戦争についても、どうかして戦争を避けようとして、私はおよそ考えられるだけは考え尽くした。打てる手はことごとく打ってみた。しかし、私の力の及ぶ限りのあらゆる努力」していたと主体的に行動したとしながら、ところが後半では政府の決定したことには、日本の立憲国君主として、主体的に行動できないので、いやおうなしにそれを裁可したと述べています。「ご内意」の「質問」などのやり取りがあったことを天皇は忘れてしまったのであろうか。
天皇裕仁は「政治的案件で配下のものから要求されたことを拒否したこと」がなかったから、天皇は自分の意に反しても、政府の決定には裁可せざるをえないというのは、まったくのウソである。