国家行為

天皇はある場合には、言語をもって国家行為をなすことができます。この場合には勿論国務大臣の副署なくても行われます。とくに軍隊の指揮に関する場合においてそうである。また勿論、国務大臣の副署を要しない。君主は国務大臣の同意を得なければ国家行為をできないのであれば、国務大臣と君主とが、全くその地位を転倒している。

国務大臣親任官である。その人の選別は法律上天皇の任意に属する。

昭和になると政府は「統治権天皇に存せずして天皇は之を行使する為の機関なりとなすが如きは、是れ全く万邦無比なる我が国体の本義をあやまるものなり」という国体明徴にかんする声明を発表して、天皇機関説は否定される。


時の大審院院長の児島惟謙は法治国家として法は遵守されなければならないとする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力に反発したと一般に言われておるが、彼の同郷の後輩で当時の帝国大学の法学部教授の穂積陳重のお孫さんである穂積重行教授は次ように述べています。

穂積家に残る児島の肉筆の手紙よると彼は穂積陳重に外国皇帝の場合にも大逆罪を適用するよう勅令発布を進言してほしいと依頼している。これでは彼の決意のほども疑われる。当時の司法部は薩長政府からはみ出した不平分子でしめられていた。死刑説にことさら反対して困らせてやれという司法部内からの突上げに児島が政府との板ばさみになって苦しんだあげく、勅令に逃げこもうとしたとかんぐられないこともない。

感想

一般に彼が司法権の独立を成し得たなどと大袈裟に言われておるが、実際は彼も帝国憲法の規定による緊急勅令を発することによって、刑法に規定のない外国の皇室に対する罪を大逆罪で処断できるように津田を死刑に処したらどうかというのである。

余談

明治24年5月6日に事件が起きて、判決後犯人津田は神戸から横浜を経由して7月2日、釧路に収監されます。しかし、身心衰弱より、9月に発病して肺炎のために9月30日に亡くなっています。無期懲役になってわずか3ヶ月の出来事です。

政府内でも犯人を病死と発表して、何らかの手段で殺してしまえば事態はすぐに解決するというものもおりました。