明治政府の方針

「国力を養ひ、取り易(やす)き朝鮮、満州支那を切随(したが)へ、交易にて魯墨(ロシアとアメリカ)に失ふ所は、亦(ま)た土地にて鮮満にて償ふべし」
吉田松陰が神奈川条約調印を機に述べた言葉)
(『未完の明治維新田中彰三省堂選書131ページ)


木戸孝允はじめ維新政権のリーダーたちは、「万国」に「対峙(たいじ)」するための日本の統一国家形成が最大の課題になったとき、なんといったか。日本と朝鮮とは「唇歯」(しんし)の関係だと強調しながら、実は朝鮮こそが「皇国の御国体」が立つ基礎であり、「万国経略進出」の基本だと断言するのである。この幕末、維新期の考え方が、その後も一貫しているのである。」
(『未完の明治維新田中彰三省堂選書131ページ)

福沢諭吉の脱亜論(1885年3月16日の『時事新報』社説)
「わが日本の国土はアジアの東端にあるが、その国民の精神はすでにアジアの固陋(ころう)を脱して西洋の文明に移っている。しかるに、不幸なことには近隣に中国と朝鮮がある。(中略)この二国をみると、現在、西洋文明が東に進む風潮の下で、とうていその独立を維持する道があろうはずがない。幸いにその国に志士あらわれ、わが国の明治維新のように国事改進、政府改革の大挙を行い、人心を一新するような活動があれば別だが、もしそうでない場合には、今から数年たたないうちに亡国となり、その国土は世界文明諸国に分割されてしまうことは明らかである。(中略)それゆえ、わが国は隣国の開明を待って、ともにアジアを興すという余裕がない。むしろアジア諸国との伍を脱して西洋文明諸国と進退を共にし、中国・朝鮮に接する方法も、隣国だからといって特別の遠慮をせず、西洋人が接するのと同じ方法で対処するのがよい。悪友に親しむ者は、ともに悪名を免れることはできない。われわれは心においてアジア東方の悪友を謝絶するものである。」
福沢は、清国・朝鮮の「固陋」に日本の「文明」を対置し、両者がともに交わることのない異質性を強調して、アジア連帯をふり切ったのである。
(『日本の歴史18,日清・日露戦争』海野福寿著,集英社,20〜21ページ)

山県有朋首相の施政方針演説(1890年12月)
「国家の独立を保持し、国勢を伸張することは今日に正に国民的課題である」として、日本の領域にあたる「主権線」の守護と、国家の安全に密接に関連する「利益線」の確保の必要を国家方針として掲げた。
(『明治国家と日清戦争』白井久弥著,社会評論社70〜71ページ)