薩長政府の功罪

維新後の薩長政府は、急速に強国を建設することをめざした。そのために多大な資本が必要であった。その必要資金は第一に国民の大半を占める農民の税によってまかなわれていた。維新以後もそれ以前と同じく、農民の負担のもとに成立していたことにかわりなかった。
江戸時代には隠田や縄のび地とかよばれる、無税地があったが、明治になると、所有の田畑にことごとく課税されたので、農民の暮らしはよくならなかった。さらに近代の産業の労働力は、重圧に苦しむ小農から供出され、低賃金、長時間労働を強制されていた。収奪はより近代的になっただけで、農民を徹底的に犠牲にしていた。そのうえ兵役の義務が加わったのだ。