陸奥宗光 日本人

明治7年元旦、陸奥は日本人と題する一文を起草、薩長の片方の統領たる木戸にあてた。そして、下野する。
「日本人とは、西は薩摩の絶地より、東は奥蝦夷までの間に生育して、凡そ此帝国政府の下に支配せらるる者みな此称あり。既に此称あれば、各人其尊卑、賢愚、貧富、強弱に拘らず、皆此国に対する義務あり、権利あり。...
時としては、政府の施政上に於ても、国民人民一般の弊害となることは之を除去し、其利益となることは之を興立するを請求すること、或は政治向きに偏頗不公平の処分あるとき、或は政府の処分にて此国の安全を傷害し、此国の危難を醸成すべきことあるときに於ては、之を忠告し、之を争論するの権あり。...
故に日本人は総懸りにて、日本国内の安全を保護し、其の危難を捍制し、此国に存する幸福は之を国内一般に享受し此の国に生ずる危難は国内一般に分任するの理なければ、凡そ日本人の名あるものは、一日一時も此国の安全を心頭に忘却すべからざるは、即ち成国の大基といふべし。...
繰り返し陳述する通り、此国の人民総体にて此国の幸福を頒受し、急難を分任すべき義務を負ふべきなり。蓋し現今此政府の至重至要の地位ある大官は、彼功労の最大なる薩長の人々なり。故に此国の安危存亡、一切此等数人の責任なり。故に亦其当務上得失ある者は、他人より非議せらるることを免るべからず。
....夫れ維新以来、政府に於て人々の政事を為すを視るに、政治上に於てもっとも喜ぶ可きものなきに非らずと雖も、天下の人常に不満足の意を抱くは何ぞや。其根本たる、人々政治上に於て、公私を混淆し、其党与に私して、量衡頗る公平を欠くに在り。
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往昔平氏の盛時、世人之を目して、平氏の族に非らざる者は人間に非らずといへり。今や薩長の人に非らざれば、殆ど人間に非らざる者の如し。あに、嘆息すべきの事に非らずや。...」