尊皇攘夷

ペリ-の来航以来、日本の政情は大揺れに揺れてはいたが、幕府そのものを否定するものはいなかった。政治的な命題は、開国か攘夷か、であった。幕府にあっては井伊大老が開国策を推し進めたために、攘夷派から目の敵にされたが、それは井伊の思想と存在を否定するまでのことであり、幕府そのものを否定するわけではなかった。また、外国の使臣たちも、将軍を日本の主権者とみなしていたから、公使館を江戸に置いていたのである。
尊王思想はすでに志士たちの間にひろまってはいたが、志士たちも天皇家が日本の政治上の本来の主権者だとは考えていなかった。つまり、尊皇攘夷という理念はあっても、尊皇討幕という政治思想には至っていない。