一死以て大罪を謝し奉る

会議終了後、鈴木首相に対して感謝の辞を述べ、同時に会議の席上強硬に反対したことを心から託びた。阿南氏は偕行社の自室に帰り、割腹して最後を遂げる。

 遺書に日く
一死以て大罪を謝し奉る
昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟幾
神州不滅を確信しつつ
辞世に日く
大君の深き恵に浴みし身は
言い残すべき言の葉もなし

阿南氏は死を以て何を償うべき大罪としたのであろうか。

何が故に氏はポッダム宣言受諾後の善後措置を講ぜずして死を急いだのであろうか。

既に「陸軍省の軍務局の一部将校の策動に依り、阿南氏の名を以て全国に令し徹底的抗戦を目的とするクーデターの命令が発せられていた」という。宮城内の反乱の計画に対しても、陸軍大臣阿南惟幾が、一時これを容認する態度を示したばかりでなく、その防止のためになんらの措置も講じなかったのは事実である。ネット上にはいろいろというておるが、いずれにしても阿南氏は反乱の予備陰謀に参加した罪、あるいは少くとも反乱防止の義務を故意に尽さなかった不作為の罪(不真正不作為犯)を犯した責任を免れないと思う。柳条溝の関東軍の犯罪から始り陸軍大臣をふくむ降伏時の犯罪に終ったところに、この戦争の本質がよく露呈していると思うが。