戦争下の怨嗟の声

召集令状が来れば、近所の人たちは口では「おめでとう」と言うが、「勝つてくるぞと勇ましく」と旗をふっての見送りの中で、「子どもをかかえて身をふるわして泣いている妻を見受ける光景もあったようです。戦死兵士の遺児で小学四年生だった梶川博司は「お母さんはときどきしゃしんの前で泣きます」と書いた。勇敢な兵士の最大の供給源である農村にさえ、息子の応召後に残された老父のロから「修の野郎さえ ひっぱられなきや、こんなして人の世話にならなくたって、何とか切り廻していけるだ。それをどうだ、お上のやつら何の断わりなしにいきなり赤紙一枚で、犬か猫かみてえに修をしょぴいていきやがって、あとはこのざまだ。いくらよその国を占領して勝った勝ったといったって、それでこしとらの田甫がー枚でも増えるわけじゃねえ。ふんとに、何が間尺にあわにゃたって、戦争ほどこけで間尺にあわにゃやもなあねえずら」という。息子の戦死の公報に接した母親が、「これも天皇陛下のためだと思って気をしっかり持ってくんなよ」とはげまされたとき、「ふん、天皇陛 下だって、わしゃもうそんなごたくはききたくねえ」、自分が真先に戦場に出て行くがいい、「そうすりや人の子が死ぬってことがどんなことかよくわかるらに」と真赤になって怒る、という光景もあったようです。