内村鑑三

1953年10月、池田・ロバートソン会談で、「日本政府は教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである」として、国民の防衛に対する責任感を増大させるような日本の空気を助長すること、すなわち、軍国主義意識を培養する必要あることを日米両政府の合意事項として確認され、米国から経済援助を取り付けた。そこで 平和教育を基盤とした戦後教育を、政府は再軍備の障害と捉え、「本土空襲」「原子爆弾とそのために焼野原となった広島」「戦争の惨渦」「全体として暗すぎる」と。また、戦争は「聖戦」として美化され、日本軍の「残虐行為」「無謀な戦争」等の字句に関し、「第二次世界大戦におけるわが国の立場や行為を一方的に批判するもであって、戦争の渦中にあったわが国の立場や行為を生徒に適切に理解させるものとは認められない」として、高.中•小各学校の歴史教育における戦争の教え方を統制して現在至ります。かつては、生徒•児童の大多数が戦争に対し否定的評価をとっていたのに、順応工作が浸透して、最近では戦争を肯定的に評価するものが増加して、政府に批判できない従順な子供たちを育てている。掲示板でも太平洋戦争は「止むを得なかった」とか「ABCD包囲陣があって……」という、さらには「必然」とかいうものも表れている。

1953年10月、池田・ロバートソン会談で、「日本政府は教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである」として、国民の防衛に対する責任感を増大させるような日本の空気を助長すること、すなわち、軍国主義意識を培養する必要あることを日米両政府の合意事項として確認され、米国から経済援助を取り付けた。そこで 平和教育を基盤とした戦後教育を、政府は再軍備の障害と捉え、「本土空襲」「原子爆弾とそのために焼野原となった広島」「戦争の惨渦」「全体として暗すぎる」と。また、戦争は「聖戦」として美化され、日本軍の「残虐行為」「無謀な戦争」等の字句に関し、「第二次世界大戦におけるわが国の立場や行為を一方的に批判するもであって、戦争の渦中にあったわが国の立場や行為を生徒に適切に理解させるものとは認められない」として、高.中•小各学校の歴史教育における戦争の教え方を統制して現在至ります。かつては、生徒•児童の大多数が戦争に対し否定的評価をとっていたのに、順応工作が浸透して、最近では戦争を肯定的に評価するものが増加して、政府に批判できない従順な子供たちを育てている。掲示板でも太平洋戦争は「止むを得なかった」とか「ABCD包囲陣があって……」という、さらには「必然」とかいうものも表れている。