7月28日午後4時よりの記者会見でのポツダム宣言に対する鈴木総理の発言 「私は三国共同声明はカイロ宣言の焼き直しであると考えている。政府としては、なんら重大な価値ありとは認めていない。ただ黙殺するのみである。われわれは 戦争完遂に邁進するのみである」、でも、「首相の黙殺発言があろうがなかろうが 原爆は投下されただろう 。実際にこのとき原爆投下命令は発せられていたからだ」という意見がある。

そもそも、黙殺とは、黙って知らん顔をしているというのが常識。それを黙殺と口にし、活字にしてしまえば、もうこれは先方に、無視(IGNORM)、拒絶(REJECT)と、とられても仕方がない。黙殺という語がどう英訳されようと、首相の発言はその用語と文脈からみて明らかに、最後通告としてのポツダム宣言を軽蔑し、これを無視したという印象を与えるものだった。 鈴木発言は海外ではそう受け取られた。米国政府もそのように考えた。日本もポツダム宣言を軽蔑し、戦争完遂に邁進することにした。この時点で両者の一点の食い違も存在しない。つまり、日本政府は戦争継続を訴えておったので、トルーマン大統領は、原子爆弾の投下命令を撤回する理由も無い。もしも日本が「黙殺」ではなく、「ポツダム宣言」を受諾したならば、原子爆弾投下も無ければ、ソ連の参戦も無かったと思うがね。


日本が終戦に向かうのは、ソ連の参戦が原因か、それとも原爆か?

8月6日(午前8時15分)広島に原爆投下。
8月8日、東郷外相が天皇原子爆弾に関する敵側の発表とこれに関する事項を詳細に報告します。原爆の詳細に関しては全世界に放送されていました。「もし条件を受け入れないならば、これまで地球上に一度も実現したことのないような破壊の連続を空中から受けることを覚悟しなければならない」とか、「この爆弾と他の優れた武器すべてを使用する」などとかです。そこで政府は爆弾の威力が大したことがなかったと言おうとしましたが、何しろアメリカのラジオが広く立派な日本語でばらまくのであるから国民に真実を隠すことができなくなっていました。
そして、天皇は次のように命令します。
 「このような武器が使われるようになっては、もうこれ以上、戦争を続けることはできない不可能である。有利な条件を得ようとして大切な時期を失してはならぬ。条件を相談しても纏まらないではないかと思うから、なるべく速やかに戦争を終結するよう努力せよ」また「このことを鈴木首相にも伝えよ」と命令します。
天皇はなんとか有利な条件を導き出そうと努力していましたが、この一撃によって天皇のはかない希望も無くなってしまったようです。
日本時間7日未明、アメリカは短波で全世界に向かって原爆のニュースを流します。「16時間前、アメリカの飛行機が日本軍の最重要陸軍基地・広島に一発の爆弾を投下した。この爆弾の威力はTNT2万トンを上回るものである。これまでの戦争の歴史において使用された最大の爆弾、イギリスのグランドスラム爆弾と比べても、2000倍の破壊力がある。つまり原子爆弾である。ポツダムで7月26日に最後通告が出されたのは、日本国民を完全な破壊から救うためであった。日本の指導者たちは、この最後通告を即刻拒否した。もし彼らがアメリカの出している条件を受け入れないならば、これまで地球上に一度も実現したことのないような破壊の雨が降りかかるものと思わねばならない」と。
小池侍従官の回想録に、「・・・短波で聞いたが、すぐ占領されるとは思わない・・・」という天皇の言葉があります。天皇は実は、短波放送を通じて、アメリカ側の情報を得ていたわけです。